老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

716;完熟トマト

2018-04-21 12:14:36 | 阿呆者
完熟トマト

完熟トマトが好き
トマトは野菜か果物か
余は果物だと思って
食べている
完熟トマトを手にし
かぶりついたとき
トマトの汁が
口のなかで広り
甘さと緑くささが混じりあう
汁がこぼれそうになり
すするときは至福の境地
食べ終わったあとも
口のなかで
トマトの味が残っている

715;信頼

2018-04-21 04:23:36 | 犬と人間
余のパソコンの待ち受け画面 元気君

信頼 

家族の一員である
beagle元気と暮らし
愛犬から教えられる

飼い犬は
世間(ここでは野良犬が棲む犬の社会)では生きていけない
負けてしまう
世間が恐ろしいところだとは分かってはいない
だから散歩のときは
ropeを離してならない、と。
万が一離れたとき
身元がわかるように、と
首輪は必ず身に着けている

元気は信頼しきり
傍を通ると
仰向けになり腹を出し
撫でてくれ、と100%以上に甘えてくる
撫でると気持ちよさそうに目を細める
こんなことを書くと「親馬鹿」と苦笑されるが
信頼されている
犬は本当にご主人様を裏切らない
信じている
仕事を終え
玄関戸を開けると
二本足で飛び上がり
ちぎれるほど尾っぽを振る
顔を45度に傾け甘える
仕事の疲れも心の疲れも吹っ飛ぶ
元気が腹を出し甘えたときには
腹を撫でる、お返しの気持ち
癒される元気の信頼に応え
生きねばならない
妻は
元気が一番、私は二番
三時のおやつが文明堂のカステラです

714;心に傷のある人

2018-04-20 03:48:24 | 阿呆者

心に傷のある人

仕事に疲れた妻
体も心もくたくた
それでも
「カラオケに行こうか」と
私を誘う
「じゃ気晴らしに行こうか」

私は音外れで
編曲が得意
妻は歌姫
詩に励まされ
元気になる

歌い終わり
時計の針は
22時22分過ぎ

家では首を長くし
beagle元気が待ちわびていた

妻がポツリ
雨が降るが如く
「心に傷のある人は 人に優しくなれる」
「心病む人は 人の気持ちがわかる」



713;過去 現在 未来

2018-04-19 03:52:03 | 阿呆者
タンポポの現在と過去

過去 現在 未来

現在は 過去と未来に繋がる?

過去は 過ぎ去ったこと
過去は 忘れ去られる

未来は 未だ来ぬこと
未来は 在るとは限らない

現在は 自分が今、こうして在ること
現在は 二度と来ることのない今という瞬間
現在は 今に生きている自分

洋式便器に腰かけているとき ふと思った

712;誰の世話にも・・・・

2018-04-17 12:08:57 | 介護の深淵

誰の世話にも・・・・

ある人は
「誰の世話にもならないで生きていく」

またある人は
「人間、誰かの世話になりながら生きていく」

誰の世話にならずに生きていけるのだろうか
当の本人は誰の世話にならず生きている、と思っていても
自分の知らぬところで誰かの世話を受けていても
気づかずにいるだけだ

誰かの世話を受けながら生きることは
決して恥ずかしいことではない
誰かの世話を受けたときは
素直に受け「ありがとう」と感謝の気持ち
世話は受けたり世話したりの「お互い様」

ときには「小さな親切」が大きなお世話になることもあるので
相手の気持ちを思い遣る「世話」が大切になってくる

介護は「世話」という意味が込められているような気がする
下の世話を受けるようになった老人の心は微妙に揺れている
他人様(ひとさま)に「下の世話を受ける」ほど申し訳ないと思い
こんな他人様に迷惑をかけるくらいなら「死んだほうがいい」と思うが
人間そう簡単に死ねるものではない
老人は何も返す物がないから
「いつもありがとう」の言葉をかけてくれる

介護における人間関係は
「お互い様」の関係にはなく
老人にとっては相手からの親切や思いやりが溜まるばっかりで
返すことができない心苦しさ

ある介護者は「おむつを取り替えてもらってさっぱりしてよかったね」と
何気なく話す言葉が
老人の気持ちを逆なでしていることに気づかずにいる
確かにおむつを取り換えてもらうとさっぱりする
それを言葉にしなくてもあたりまえのこと

返すのことのできない苦しさ
一番わかりやすい例え話
だれもがよく旅に行き
旅先でお土産を買う
日頃世話になった方や隣の家にお土産を差し上げる
頂いた方は
自分が旅に行ったときは
お返しをする
お土産を差し上げたり頂いたりの関係は
人生の貸し借りのようなもの
困ったときは助ける
自分が困ったときは素直に親切を受ける
人間一人では生きて行けない

冒頭に戻るが
人間誰かの世話を受けながら生きている
高齢社会の最中にあるだけに
いつ自分も誰かの世話を受けるかもしれない
肩肘はらず素直に世話を受けることも大切






709;老人と子ども

2018-04-16 08:20:22 | 阿呆者
老人と子ども

子どもは 未来がある
老人は 未体験の世界がある

子どもは 怖れを知らない
老人は 狡さを知っている

子どもは 疲れをしらない
老人は 疲れがでてきた

子どもの笑顔は 可愛い
老人の笑顔は 慰め

708;時間

2018-04-15 04:50:06 | 阿呆者
青空に映える山桜

時間

時間

人を待つ時間は長く感じる
電車を待つ時間も長く感じる
お湯を注いだカップヌードルを待つ時間も長~い

約束した時間に
向かうときの時間は
早く過ぎ去り早回しの画面のよう

齢を重ねるごとに
過行く時間は駆け抜けてゆく

桜の花が散った
時間が散った感じ



707;食べたい物を食べて死にたい

2018-04-13 20:46:35 | 老いの光影 第2章
食べたい物を食べて死にたい

デイサービス桜に週6日通う
92歳の松原智恵さん
脱水症が原因で
寝たきりになった要介護5の婆さん

デイサービス桜のお蔭で
2足歩行ができるようになり
要介護も3にレベルアップ

元気になったことで
大きな声で話す
「私が死んだら棺桶に”筋子”を入れて欲しい」
〔死んでから棺桶のなかに眠っている智恵の唇に筋子を乗せてもらって、智恵さん嬉しいかい〕
「やっぱり生きているうちに 好きな物を食べて死んだ方がいい」
〔私も好きな物を食べて死にたい~〕

706;終わりと始まり

2018-04-11 23:28:00 | 阿呆者
終わりと始まり

今夜は激しい雨で
桜は散ってしまう

もう23時半過ぎ
あと20数分で
日付が変わる
今日が終わり
今日でない今日が始まる
時間は無限であるけれど
余の時間は
砂時計の如し
終わりの次は
「無い」のである

705;いろいろ有り過ぎた1日

2018-04-10 21:55:57 | 老いの光影 第2章
いろいろ有り過ぎた1

今日はいろいろ有り過ぎた
12日退院に向けカンファレンスがあり
在宅復帰に向けての受け入れ準備
 訪問看護
 訪問介護
 訪問入浴
 車いす貸与
 スロープ貸与
上記の介護サービスの手配(段取り)を早急にせねばならない
92歳の頑固爺さん
早く家に帰りたい、と叫んでいた

病院の玄関を出たとたん
スマホが鳴りだし
耳に近づけたら
慢性肺疾患で入院したと
93歳のおばあちゃん
こちらはサービスの休止を電話連絡せねばならない
 デイサービス
 ショート
 訪問リハビリ
 福祉用具貸与

ショートの施設で
トラブル多いと
施設から苦情の電話
一方的に4月30日で退所
家に帰されても病弱な老夫が介護できるわけでもないのに
施設をだされそうになった72歳の女性
家に帰されても受け入れ体制ができないまま帰すのは
余りにも酷く 老夫婦は共倒れになってしまう
と抗議をし 5月31日までショートを延長することができた
問題解決の先延ばし?
問題を解決できる時間に余裕ができ
これからどうしたらいいか
検討し行動に移していかねばならない

デイサービス利用者の72歳の男性が
意識消失
外食している最中だったので
救急車を呼ぶわけにもいかず
デイサービスの車で
病院まで搬送し
受診
心臓の機能が低下し、不整脈があり
ペースメーカーを設置しなければ
意識消失の繰り返しがある
2日後に循環器科受診することになった

58歳の男性
生活保護受給者
変形性股関節症で膝を曲げずになんとか歩行
2号被保険者

自称「元○○組で
前科10犯、刑務所は5回入ったと
自慢げに話す彼
地元の病院入院を拒否されてしまった
入院できるよう電話の向こうから大きな声で騒いでいる
その電話の対応に30分
この電話が一番疲れた

これから5人の出来事を
支援経過として記録してから寝る

704;大福餅

2018-04-10 05:07:42 | 老いの光影 第2章
大福餅

今日の早朝
息子元気(beagle犬)と
阿武隈川の辺を
散歩していたら
路の真ん中に
大福餅が落ちていた
幸い烏にも食べられておらず
無傷の大福餅であった

誰か散歩のとき落したのであろうか
誰もいなければ大福餅を拾い
息を吹きかけ
手で気になるところを削りとり
大福餅を食べただろうか

どれだけの蟻の数が集まれば
大福餅を運ぶことができるのか
散歩しながら想像してみた

大好物の大福餅
もしあなただったら
大福餅を
うっかり
食べそこね路上に落してしまった

大福餅
そのままにして置きますか

703;blog『老い楽の詩』 1周年

2018-04-09 03:31:15 | 老い楽の詩
余が好きな花 どこでも生え咲いている貧乏草


blog『老い楽の詩』 1周年

1年前の4月9日
『老い楽の詩』がスタートした
4月9日から6月24日までは
休むことなく続いたが
それ以降は
書いたり怠けて書かなかったりの繰り返し

誰のためでもなく
自分のためなのかもしれない
顔も本名も知らずとも
「信頼」「励ましや温かいコメント」で
感じたり想ったりしてきた
過去のblogを誰かがクリックされ
自分もクリックし
過去にこんなことを書いたり思って(想って)いたりしていたのか と
blog
内なる精神史のようなもの
気楽に綴る
感じたこと思ったことなど
どれだけ飾らず
自分をありのままに綴れるか
時間がなく同じ画像の繰り返しで
申しわけなく思う
いまは綴ること
続けること
休むことがあるかもしれないけど
『老い楽の詩』は閉じない
老いゆく自分を楽しんで往く男が
地球という惑星に生きている
これからもよろしく