老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1197;味噌おにぎり

2019-07-11 16:04:09 | 阿呆者
味噌おにぎり

wifeが病で倒れると
食べるのにも事を欠く

wifeに依存した生活だからであろうか
wifeは臥床状態にあり
昨夜の夕食は冷麦をゆでた

今日の朝食は ご飯と昨日残った冷麦を味噌汁のなかにいれ温めた
昼食は ご飯の上に味噌をのせ食べた
他におかずはあったのだが食べる気がしなかった
塩分摂り過ぎかな


昔 百姓をしていたとき
10時頃お腹が空き
田圃から家に戻り

掌に味噌をなでつけ
オヒツのなかからご飯を取りだし
味噌の上にご飯を乗せ
味噌おにぎりをつくり
食べたことを想い出した

当時の農村は
いまみたいなコンビニはなかった

昭和44年の話

1196;父親の命日だった

2019-07-10 09:39:45 | 阿呆者
高校2年生まで親父と眺めた羊蹄山(蝦夷富士)
今日は父親の命日だった

親不孝な自分
今日は亡き父親の命日
50回忌にあたる

時が経つのは早い
自分も50年の齢を重ねてきたことになる
親父は43才であの世に逝った

親父が亡くなった日は
晴れていた
息を引き取る寸前
親父が握り返した掌の力
想い出した

親父が握り返した掌の力に
どれだけ自分は頑張って生きてきたのだろうか

残された時間 頑張るとしようか

今日の夜は 酒が好きだった親父と晩酌でもしようか

1195;痛  み

2019-07-10 09:11:39 | 阿呆者
痛  み

wifeは舌の裏側に腫れ物ができ
かなり痛く 一晩中呻っていた

隣りで寝ていた自分
どうすることもできず
ジッと息を殺していた。

痛み はその人しかわからない
痛みを代わりたくても代わることはできない

水を飲むことも容易ではなく
お粥も満足食べることができないほど
今日の朝も舌の痛みは続いていたwife

痛み
躰だけでなく
心の傷みも
目に見えないだけに
やっかいである

心の痛みは
傷みとなって残る場合もあるだけに
時間をかけ癒していく以外に途はない

1194 ; 苦悩は尽きない

2019-07-09 05:07:23 | 阿呆者



苦悩は尽きない
筑波山と白蓮

抜糸のあと
wifeの実家に寄った
waifの両親を誘い
つくば市まで足を伸ばし蟹料理を味わった

通り路 白蓮(しろいはす)に出会う
泥水を吸い、白い花を咲かす蓮
生きている限り苦悩は尽きない

生きる苦しみ
老い誰もが通る苦しみ
病苦
必ずやってくる死の苦しみ
《生老病死》

白蓮のように
苦しみを乗り越え咲きたいものだ

1192;老いのかたち

2019-07-07 01:39:10 | 文学からみた介護
黒井千次著『老いのかたち』中公新書


昭和一桁生まれの作家が、自らの日常を通して、〈現代の老いの姿〉を綴るエッセイ集(カバー書きより)
老いをどうかたちつくっていくかは、ひとそれぞれなのかもしれない。
自分の眼に映る「老いの光影」は、光の部分と影の部分がある。

老いて往くと、物忘れや記憶が抜け落ちて往く。
流石作家の表現だなと感じてしまった。
手から落ちた物は、幾度でも拾えばいいが、記憶の指先から消えたものは取り戻すのが難しい。(47頁)

老いてからの齢を重ねていく一年は、時間の中に命の影を覗き込もうとするような静けさが孕んでいる(113頁)
老いの齢を重ねていく一年は、樹木で言えば年輪であり、
顔に刻み込まれた深い皺は、年輪のようでもある。

90の齢を越え、また一つ齢を重ねるたびに、「お迎えはまだ来ないのか」、と死を言葉にしながらも
歩行器につかまり家の近くに在る内科クリニックを受診している98歳の婆さんがいる。

他者の老いの光影を通し、また感じながら、
自分自身の《老いのかたち》をどう創っていくのか
考えさせられた新書であった。

1191;今更後悔しても・・・・

2019-07-06 05:02:38 | 阿呆者
水平線 銚子岬
 
今更後悔しても・・・・

愚痴
読み飛ばし、流し読み
そんなツマラナイ老いた男の嘆き


来月で67歳の夏を迎える自分
いままで何をして生きてきたんだろうか

いまの自分に何が残っているのか
19歳の春に津軽海峡を渡り、今日まで生きてきた
本当に生きてきた、と誇れるものは何も無い

今更後悔したところで
時間や人生は戻らない
どうしようもない

自分が蒔いた種は実らなかった
種を蒔いても 労苦を厭わず汗水を流さない人は
喜びを手にすることはできない

願望を抱いても脆弱な性格は何一つ得ることができなかった
今更後悔しても始まらない
そう自問自答しながら
まだ諦めきれず足掻き息絶え絶えにある

67歳にもなれば普通ならば自適悠々の暮らし
いまの自分は
時間に追われ
仕事に追われ
事業の借入返済はあと5年かかる
借金を遺しては死ねない
借金を返済するために生きているのではない

いま自分が為している仕事
もう限界だ、と本当に感じるところまで
続けるというか
いまから、ここで 始まるのだ、という気概で
もう一度生きてみよう、と思っている

67歳になって
こんな後悔文を書き綴る
他者からみれば、敗北の人生に映り
今更後悔しても もう遅いよ

敗北、挫折したまま
残りの時間を過ごすのは虚しい
生きる屍になってしまう

いま時間に追われ
仕事に追われ
自分を見失っている

残された時間は
砂時計の如く
刻々と落ち往く砂をみて焦るときもあるが
本当に生きたと思えるようなことを
最後にchallengeしていきことで
今更後悔したことの気持ちを
軽くしていきたい
(笑ってください)












1190 ; これから夕方まで研修

2019-07-05 08:21:51 | 阿呆者
これから夕方まで研修




9時研修開始なのですが、
8時に到着した。
上の写真は、研修会場です。

NHKテレビ小説 なつぞら を観る
今日は泪ウルウルで 涙脆い自分。

在宅に暮らす要介護老人や障がい者に対し
「時には近くで寄り添い、時には遠くから見守ることのできる」ケアマネジャーという人として
どう関わって行けるのか

字ズラは肌触りがいいけれど
寄り添うとは、
見守るとは、
どういうことなのか

悩める人を前にして
何を感じ、何をわかりあえるのか

感じたら、次に
悩み解決に向け
どう行動を起こしていくのか

それは自分一人ではできない
どう介護、福祉、医療などのサービスに繋げていくのか
それは人と人の繋がりを意味する

研修の中で、もっとそのことを深く学んでいきたい


1189 ; 今日と明日は研修

2019-07-04 12:45:06 | 阿呆者
障がい者相談支援従事者養成研修に出席してます

物忘れが危ぶまれているのに
今日と明日の2日間
障がい者相談支援専門員の資格をとるために
研修に出席した

障がい者福祉の仕事をしていたのは
31年前にもなる。

障がい者福祉制度も大きく変わった
変わらないのは自分だけか

頭のなかに研修内容が入りきれず
溢れ落ちているような錯覚を覚えます

老人だけでなく
障がい者のことも
知らなければ、と思っています

齢(とし)は取りたくないね
でも容赦なく時間の流れに添い
齢は重なっていく

1188;老人同士の会話

2019-07-03 21:01:43 | 老いの光影 第5章
老人同士の笑える会話


爺さん/ 心臓が悪いからペースメーカが入っている(植込みをしている)

婆さん/ それってヘルスメーカー(正しくはヘルスメーター)のことかい

爺さん/ ヘルスメーターなんかでかくて、体に入らないよ

婆さん/ ・・・・・


1187;探し物は見つからない

2019-07-03 05:04:38 | 歌は世につれ・・・・


夢の中へ 井上陽水

しまい忘れが目立ってきた自分。
井上陽水から話しかけられた。

探し物は何ですか
見つけ難い物ですか
カバンの中も 机の中も
探したけれど 見つからないのに
まだまだ探す気ですか


もう探してもみつからないので、あきらめた。
忘れたころに、意外なところからひょっこと見つかるのかもしれない。

井上陽水が歌のなかで
探している物は

どうして自分は、生きているのか
生きるとは
《人生》の探し物なのかもしれない
老いてもまだわからない自分

休むことも許されず
笑うことは止められて
這いつくばって 這いつくばって
いったい何を 探しているのか


生きていることに疲れたとき
ふと休んだときに
探し物が見つかるのかもしれない

探し物が見つからなく、困ったとき
蒲団に入り夢の中へ浸ることで
しまい忘れを「忘れる」しかない

しまい忘れそのものがあったことを 
忘れたらwifeの言うように
認知症の始まりなのかもしれない






1186;物忘れの始まり・・・・

2019-07-02 14:51:21 | 阿呆者
物忘れの始まり・・・・

これは大切な物だから、と
別の場所に移動し保管。

後日、しまった場所がわからなくなり
探すが、思いだせない。
認知症の兆しかな、と思っているところへ
しまい忘れが目立ってきた

脇に居たwifeは「もう認知症になったんだね」、と。
「まだ認知症にはなっていないよ」と否定する自分。
wifeは「認知症の人は、認知症になったとは認めないよ。仕事でわかっているでしょ」
「・・・・・・・・」

1185;水を飲め、飲め、と言われても

2019-07-02 07:13:38 | 老いの光影 第5章
水を飲め、飲め、と言われても

梅雨の時期であっても老人は熱中症に罹りやすい

95歳のイチヨ婆さんは、隠居宅に暮らし
同敷地内別棟に長男夫婦宅がある。

長男夫婦との日常的な交流はあり
様子を見にきたりおかずを運んでくれたりしている。

「水を飲め、飲めと言われても、ひとりだと、なかなかお茶を飲む気になれない」
そう話す彼女。


85歳の藍子婆さんは、一人暮らし。
訪問をすると部屋は閉め切ったまま、むんむんしている。
本人に断り、台所の窓と居間の引き戸を開け、風の路をつくった。
彼女は、お茶を入れてくれた。
誰かがいると、一緒にお茶などを飲んだりできるのだが・・・・

水分不足も手伝い便秘に悩んでいる彼女。
翌日さくらデイサービスを訪れ、彼女はスッキリした顔をしていた。

ウンチが出たので笑顔
彼女に「お金は貯めても、ウンチは溜めないほうがいいよ」
と話しかけると、笑ってくれた。

熱中症にならないか
水を摂らない老人が心配


1184;介護殺人

2019-07-01 04:31:36 | 文学からみた介護
他人事ではない介護殺人

自分が介護にかかわり始めた平成一桁の時代にも
介護殺人は起きていた。
介護保険制度がスタートしても介護殺人は起き続けている。

『介護殺人』のサブタイトルにも記されているように
「追いつめられた家族の告白」の書でもある。

社会の隅で、ひっそりと人知れず
介護を続けてきた家族

「ごめんな、ごめんな」
心の中でこう叫びながら。(55~56頁)

首にタオルを巻いた。

追いつめられた家族
すべてを抱え込んで孤立してしまった
昼も真夜中も介護に追われ、眠れない介護、つまり眠れない家族を介護している現実

追いつめられ、先が見えない介護ほど辛く、不安だけが増してくる。

自分のことだが、透析を続けていたとき
死ぬまで透析を続けなければならない
その不安は夜間透析を行うたびにその不安は増していった。
先の見えない透析治療に悩み
自分は妹に腎臓移植の話をした


介護を抱えた家族もそうでない家族も同じく感じることは
ぎりぎりの生活を強いられている老人家族が多い。

介護になった場合、国民年金だけでは必要な介護サービスを利用することができない
医療保険料や介護保険料は年々上がり、手元に残る年金額が目減りしていくだけ

恥ずかしいながら自分も月額手にする年金は十万円程度
寝たきり、認知症にはならないように、と思ってはいるのだが
認知症はわからない。
どんなきっかけで、認知症が発生するかは、わからない。


自分はケアマネジャーとして
在宅に住む要介護老人や家族と向かいあっているが
それぞれの心の内、切なさややるせなさ、不安を拾い上げ
それをケアプランに反映しているかどうか
本当に他人事ではなく、自分の事として捉えているか

介護者が休息できる介護サービス
緊急時や夜間に利用できるサービスはない
ショートを利用することも有効な手だての一つだが

ショートのサービス内容は十分ではない
それでもショートは必要なのだが
ショートの夜勤は、介護職員一人で20人の老人を介護している
昼間は椅子に坐ったままのサービス状態に置かれている
ショートを利用すると認知症老人は不穏になったり、歩けなくなったりするから
もうショートは利用したくない、という家族もいる。

介護が始まったら、一人で抱え込まず、ケアマネジャーに相談すること
ケアマネジャーもいろいろな人がいる
親身に話を聴いてくれ、行動を起してくれる人
自分の波長に合うというか、相談しやすいケアマネジャー
合わないないケアマネジャーは他のケアマネジャーに替えることはできる
そのときは地域包括支援センターに相談するとよい

本書の262頁を読み、いまも反省と後悔をさせられる
「一番辛い思いをしているのは母なのに、なぜ、優しい言葉をかけることができないのか・・・・・と自分が情けなく。
気付いたら無意識に泣いていることがあります」

自分も認知症の母に優しい言葉をかけることもできず、怒ったことがあった。

介護が原因で、大切な人を自分の手で殺してしまう哀しい人たちが(264頁)、社会の隅にひっそりと生きていることを、
受けとめ、老いや介護、そして死も含め
それらは、すべて自分の事として
一人の老人や家族から
ふと、思えるような刻(とき)を持てること

生きるとは、老いや死が背後からひたひたと迫りくることであり
どのような老いや死を迎えるかは・・・・

まとまらないブログになってしまった