「復興の村・栄村で共に新米を味わいましょう」特別例会記念品 稲穂のしおり
裏面
ふとしたことから遠い記憶が甦ることがある。
長野県最北部に位置し、新潟県に境する栄村は、平成23年3月12日未明に発生した、長野県北部大地震(震度6強)により、甚大な被災を受けた。
しかしながら その前日東日本の広範囲を襲った未曽有の激震と派生した大津波・それらが複合要因となった原発悲劇に飲み込まれてしまい、被災後2年半を過ぎて、ローカルな出来事として人々の脳裏から薄れかけている。
東日本被災地に様々な支援活動を展開してきた国際奉仕団体ワイズメンズクラブあずさ部及び長野クラブは、このことを憂慮し、栄村の復興支援に向けた小さな取り組みを始めることになった。
被災地に近い長野クラブは10月26日特別例会「復興の村・栄村で共に新米を味わいましょう!」を企画し、呼びかけに応じて栄村北野天満温泉に全国から30名の同士が集まった。
支援活動の詳細は別稿に譲ることとし、今回主催クラブが参加者全員に配った記念品についての思いをつづる。
それはクラブマスコットの紅いリンゴと由来を記した短冊を、実物の稲穂と共にビニールでコーテイングし、稲の葉を模した金色と浅黄色のリボンを配したしおりである。
しおりからは素朴な秋の農村風景が彷彿されて、特別例会の趣旨が際立つように伝わってきた。
最初稲穂は刈田の落穂を集めて加工する予定であったらしいが、機械化が進んだ稲作では落穂の発生は希少だと知り、農家から特別頒布の稲穂を使ったと聞いた。
制作担当者から、しおりの由来を聞きながら、私は子供のころ取り入れが終わった後の水田で、落穂を拾った遠い記憶がよみがえった。
先生に引率されていたような気がする、戦後数年の間に1回か2回の体験だったと思う。
落穂拾いがどんな目的でなされたのか詳しくは判らないが、切迫した食糧難が続いた時代である、集められた落穂が児童の空腹を少しは満たしたのではないかと思っている。
落穂ひろいといえばミレーの名画を連想する人が多い中で、しおりから落穂ひろいの体験を思う人は多分私だけだっただろう。