つい先日,コンビニエンスストアを利用したときの話を一つ。
用を終えて外に出ようとしたとき,外から男性客がやって来ました。ほんの一瞬,客が早くドアに手を触れ,わたしはタイミングをずらして後から出ようとしました。これが当たり前の順序であり,無理のない判断でもあります。
ところが,ここで思いがけないことが起こりました。先に店内に入った男性客は,ドアを動かないように支えたまま,「どうぞ」とわたしに声をかけ,間口を開けてわたしを外に導いたのです。
ふつうなら,無造作に入って手を離し,無言のまま,あるいは「お先に」と一言,そんな感じではないでしょうか。このときの「どうぞ」には,「お先に失礼しました。さあ,どうぞ」という言外のこころが込められていたように思うのです。
客はわたしより若い世代と見ました。ほんの1,2秒,相手についてきちんと気を配るこころが,なんとも爽やかでした。わたしは「どうもありがとうございます」と一言お礼を言いながら,店外に出ました。
このことで,思い出すのは西洋文化の話です。デパートやホテルなどで,この出来事と同じ状況になったとき,片方の当事者は相手を慮ってドアを手で支え,相手方が通れるようにする,とか。そんな話をなにかの本で読んだことがあります。これはまさに文化のかたちです。文化が育って,人権文化が熟している姿でもあります。
わたしは,この日の“慮り”に改めて学び,同じような場面で咄嗟に同じような慮りができる自分にならなくては,と自省した次第です。
(注) 写真は本文とは関係がありません。