私のお店の周りはあれやこれやと春めいて来たようです。
私の仕事も”春ランラン”と...祈るばかりの四月一日です。
南三陸入谷 鏡石
今日は風がもの凄く強い日でした。台風だってこんなに”吹き荒れない”とTVニュースで放送していました。
宮城 女川町で37.8メーロル 東北で観測史上1位の暴風だったそうです。
強風のため東北新幹線も止まり、午後6時過ぎ 運転が再開されたそうです、
横浜の大学でのオープンキャンパスに参加した孫が東京駅で足止め...午後10時過ぎの新幹線にようやく乗れたそうで、
ホッとしてる私です。
とにかく
日常の中でいつ何が起きるかわからない事実をいつも心の片隅に置き続けたいですね。
今日の投稿写真と文章の内容が”チグハグに”なってしまいました。また写真も真冬ですね(笑)
まあ こんな事もあります。
きょうの写真二枚は 震災前、自宅前から撮った懐かしい情景です。どちらも旧南三陸町役場前です。
なんかパソコンの中の写真を散策していたら...なんとなくアップしたくなりました。
志津川小学校体育館が私と家族の避難先でした。
床に段ボールを重ねその上に配給の毛布を敷いての粗末な寝床です。
止めどなく続く余震、予測不可能な動きに恐怖を覚える日々が約一ヶ月ほど続きました。
自然の力には逆らうことできないと感じつつも、
こういう状況の下で団結やお互いの助け合いは、心を温め、また力強さ、優しいさを感じたものでした。
避難所での生活は自然と人々がまとまるんだなと、言葉で言い尽くせないほどの大切なことを経験しました。
。
あの日、母は防災頭巾をかぶっていました。見渡せば身に着けているのは母だけです。
自分の手作りです。
私が小学校6年の時です、昭和35年5月チリ地震津波で川沿いの自宅が1F天井まで到達した津波で
被災しました。その時も四十数名が亡くなり...町中が津波被害で混乱したことが小さいながら心に残って
いました。たぶんその時から家族は防災意識が高くなったと思っています。
川沿いにある自宅です。津波リスクが大いにある環境でしたので町の毎年ある津波訓練やあらゆる災害情報には敏感でした。そんな中で育んだ防災意識が...母 手作りの”防災ずきん”だと思っています。
多分、チリ地震の経験した以後は夜寝る時は自分の枕元に備えていました。
「備える」ことは自分の命を安全安心に導く一つだと思っています。
南三陸 志津川小学校体育館
私の心は...あの日のままです。
私のお店(自転車屋)の前の八幡川を撮った12枚の写真です。...人生って不思議なものですね。
街路灯の淡い明かりが 川面に揺られ 街並みを優しく包んでくれたこと覚えています。自宅の2階から撮りました。
あの時の街は、どの方向にカメラレンズを向けても絵になりました。
町の通りを歩けば、道端に立ち並ぶお店から漂う賑やかな話し声や笑い声。
車が通り抜けるエンジン音。
子供たちの足音
人々の優しさ
流れる穏やかな空気
川面からの風がそっと私の頬を撫でる
山並が夕陽に染まり
昼間の賑やかさが...静寂へと
震災から...信じられない速さの14年が経ちました。
南三陸町は新しい町に復興しました。年齢を重ね過ぎてしまった私ですが、...あの町が恋しいのです。
投稿した写真4枚は自宅前(震災前)から撮影です。
隣が南三陸町役場で4枚目の写真は震災直後の役場前の堤防です。
遠くに水平線を見つめながら... あの日から14年 あのまち いったい何処に行ってしまったんだろう。
別に探そうとはしないけど、
南三陸町志津川 2007年撮影
ここのところ、暖かい日が続きましたね。でも明日から冬の寒さに逆戻りだそうです。
「あつささむさもひがんまで」春彼岸ごろまでには、寒さ和らいで欲しいですね、
南三陸311メモリアル 私としてはふらっと入館したのですが、思いがけないメッセージ展に出会い心温まりました。
特別企画展:伝えたかった”ありがとう”...町民の方々の...震災当時の感謝のメッセージ展です。
一人一人が思いを込めた文章を読み進むにつれ、当時の自分と重ね心があつくなりました。
このメッセージの文章は私が実際居合わせた状況をしっかりと綴っていました。
当時、私は志津川小学校体育館で約一か月ほど家族で避難生活(1次避難)をしました。
紅白の垂れ幕を体に巻き付け寒さをしのいだ思いもよぎります。
ある日...3月28日に避難所の体育館で卒業式をするとの広報でした。避難所全員で体育館を大掃除をしました。
老若男女が一つとなり、子供たちの卒業式を迎えること、そして卒業式に参加できたことは一生の思い出です。
私もこの状況を写真に収めたことは今となって、...私の宝ものです。
震災当時の志津川小学校体育館(避難所)
2011/ 3/28 8:27
2011/3/28 8:50
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2011/3/28 10:59
2011/3/28 11:24
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2011/3/28 11:46
2011/3/28 12:04
南三陸町 志津川小学校 2011/ 3/28 卒業式
伝えたかった
”ありがとう”
南三陸311メモリアルで特別企画展として開催されています。
開催期間:2025/1.4~3.31 (詳細:開催期間をクリック)
被災した私たちがいろんな方々からお世話になった思いを込めたメッセージです。
南三陸311メモリアル
日本製紙 石巻工場、なんかこの場所久しぶりだ。よく考えりゃ何十年ぶり いや...この光景間近かで見るなんて初めてかも、
記憶があやふやなぐらい...ずっと昔だ。自分が高校生(石巻工)だった当時...この工場「石巻パルプ」って呼んでて
この会社に入社できるのは”すごく”優秀で難関だった思いが蘇りました。
まあ私は東京の自動車メーカーに入りましたが...50年以上も前の話です。
この日は日曜日、石巻工業港周辺には 人子っ一人も見当たりません はじめそろそろ だんだんと大胆に、
カメラ片手に、自分のペースで 心地よい時間を過ごしました。
石巻工業港
この頃の天気、移ろいやすく 儚い気がします。土日と昨日の昼までは
ホンと春を思わせるような暖かさだったのに、午後からは急転直下の真冬の寒さには...驚きました。
今日のブログ投稿写真は急転直下のちょっと前に撮った...ウキウキ ワクワク いつもの散歩道でした。
やっと見つけた ”ばっけ” フキノトウです、今年はいつもの年より、すごく遅い、やっぱ気候変動のせいかな、
お店(じてんしゃ屋)から150歩の店の裏手。
散歩道には、赤南天 まだまだ...こんな感じで冬枯れの無表情さを支えてきました。
フクジュソウも見つけました。
散歩道、私の一息つくところです、急な坂道、お店から600歩。
オオイヌノフグリとナナホシテントウ虫も見つけました。
もうすぐ春ですネェ~
カーブミラーが私の散歩コースの最終地点です。お店から急な坂道を上りきって1100歩。
南三陸 入谷鏡石
南三陸町志津川湾はラムサール条約の登録地。
コクガンは国指定天然記念物、絶滅危惧種に指定されています。
コクガンは水鳥でガンの仲間です。
ガンの中では唯一、海に生息しています。
志津川湾は穏やかな波とエサとなる海草であるアマモが豊富なため重要な越冬地となっています。
コクガンは越冬の地を求めて遠く北極海沿岸シベリアから越冬のため南三陸町志津川湾に渡って来ます。
コクガンは全身が黒っぽい色で、首に白い首輪模様が特徴の渡り鳥で...海で越冬します。
。
今日の投稿写真5枚は1月5日の日に撮影しました。撮影からもう3週間経ちました。(10月下旬から1月頃まで越冬します)
もしかしたら「「北へ旅立」ったかもしれません。
南三陸町 戸倉 波伝谷
誰もいない海辺の渚で...「ウニ」が...寂しそうにポツンと、
遠くをみつめるその様子はなぜか悲しそう...
「哀愁が漂う」上の写真、この状況を”撮る”ので精一杯でした。...”採る”なんて「そんなこと、できるわけない」ワタシです。
引き潮に乗って海に帰って!と...願うばかりの「新春の海」でした。
巷の話題は、東京豊洲市場「ウニ」の”初セリ”が400gが700万円で落札されたそうです。
落札した鮨店では一貫40万円の値段だそうです。
南三陸 サンオーレ袖浜