



年老いた両親に助けられたかな...と、 今思うと!
その日は、特別養護施設”慈恵園”パート勤め妻の休みの日でした。
私もその日は仕事の延長線で遅い昼食をとり始めた時です、
家族4人....今まで経験のしたことのない地震の揺れ、...居合わせた4人の行動が功を奏しました。
これからどんな状況になるか分からないから....
年老いた両親と一緒に避難し、状況を見て考えようと、
志津川小学校の高台にいち早く...私たち家族4人は逃げ込みました、
その時点では、果たして津波が来るものやらと....でも町の防災広報はしきりに「高台に避難して下さいと」連呼でした。
”6㍍の”津波が来ます!
エッ!6メートル、じゃ...この八幡川は倍だなットと...思いつつ避難しました、.....まさか未曾有の震災とは! (続く)
震災前の私たち駅前商店会は、
JR志津川駅を中心とし約30店舗と町役場、総合病院等を含め。
地域に根差した商店街として南三陸志津川の町並みの核を担ってきました。
とりわけ南三陸特産とか観光客を相手の商売ではない地域密着形が主でした。
写真下の彼は私の同級生で、八幡町地区のまとめ役で、駅前商店会...会長を歴任....
震災の10日後には...瓦礫の下でいち早く営業再開でした、
私達、町民は大いに助かり感激したことが...いまでも忘れることはできないのです。

「ESSO エッソ・エキスプレス」 ”宮城商店”
彼の息子さんが店長で
南三陸志津川小森地区に本格開店しました、

近いうちにできる三陸道インター付近です。
私としてはこの国道398沿線が今後...新しく...うごめく...南三陸志津川の力強さと感じます^^

※私たち八幡町は災害指定区域で集団移転を余儀なくされています。