”ワケがわからん”
とにかく、何がなんだか訳が分からないままの3.11、あの震災からもう五年もなります。
まだまだ続きます、仮設住宅からの転居と、仮設店舗からの展開と、これからが自分との闘い!
”ワケがわからん”
とにかく、何がなんだか訳が分からないままの3.11、あの震災からもう五年もなります。
まだまだ続きます、仮設住宅からの転居と、仮設店舗からの展開と、これからが自分との闘い!
ウミネコか、カモメかと.....よく談議しましたよ、
口ばしが黄色のがウミネコで 赤いほうがカモメだとか、なんとかと...
まあまあ南三陸には話題の尽きないことばかりでした。
オレにとっては居酒屋! 彼にとっては紛れもないれっきとした「中国料理・ときわ」。
まあ些細なことでの論議は...お酒のつまみ(笑)でした。
あれからは久しく交わしてないのです、
カウンター越しだったカレ、オレの隣りの”止まり木”に腰かけて、「商売の持論と展開と」
いやぁ、震災がなければ”二人で大金持ちになれた”話だったんですよ、
南三陸 志津川
まあ この街ではこの時間帯は宵の口だったのです、新橋で飲んで品川で、なんでここまで来たのかは さっぱり見当が付かないのです。そりゃあ酔いにまかせにカメラで写したかぎりでは”世の中、みんなブレてるんだと” 嘆いた訳でして、
そしたら背後から...「オレの会社、このビル!」
それ以来、スカイツリーなんかより”東京タワー”は世界一なんだと心に決めました(笑)
暖冬だと思ったら、降りはじめると止まらなくなるのですネ。
まあもうすぐ2月だから、あと1ヶ月もガマンすると...少しだけ春かも
でも、春めく3月って 怖いような気がします。
でも、”春はあけぼの”って...楽しみですよネ。
南三陸志津川 八幡川
”ふるさと”とは、
ずーっと前から住んでたところ、とにかく馴染んで住みなれたところ、
まあ人生って何があるかよく分からないもんです。
とにかく、悲しむことは遠回りにしたあの時でした。
でもあれからもうすぐ5年がたちます、
南三陸 海 山 川
もお、ここに来て4年7か月になります。
この童子山を眺めながら山懐に抱かれての年月は早いものだとつくづくの思うのです、
自分としては写真正面の牛小屋を間借りして...震災後の「自転車屋」の再スタートでした、
同居する”牛とべゴと独特の匂いと”....とにかく臭うのでした(笑)
あの時は、何もかにも全てが津波で流され、仕事がでる場所を掴んだだけで喜びでした。
とにかく元気になった源は、”入谷・童子山とその山懐に暮らす童子下地区の皆さんに”感謝なのです。
たぶん、28年度中にはほとんどの方が童子下仮設住宅から、新天地に引っ越すと思っています、
それが同時に...個々の復興と思っています、
とにかく私たち童子下1期仮設の16世帯はイイ仲間達です 童子山(320㍍)に感謝しながら。
「まめ菜(な)工房~ビーンズくらぶ」の販売所が”本日開店”です。
昨年12月中旬、工房が完成し納豆やきな粉に加え、試作研究を重ね”手作り豆腐”も売り出しました。
写真正面の建物が、工房&販売所です。
”ビーンズクラブ”は入谷童子下地区の農業を営む女性6人での運営です。
6人のスタッフは40代から80歳代のメンバーで構成され ホンと活力あり圧倒されます、
グループが所有する畑で季節ごとに栽培するいろんな品種の豆を収穫し納豆やきな粉に加工し、
町のイベント等で販売していました。それに加え初の試み!手作り豆腐の製造販売を始めました。
今日から工房に併設した販売所が開店しての6人のスタッフは.....ますます ”力が入ります”。
その”手作り豆腐が大好評”で品薄状態。もちろんワタシの晩酌の友”奴豆腐”も制限されました{笑)
でも豆腐料理づくしの今宵は大満足でした。
「ビーンズくらぶ」工房&販売所は、ワタシたち”童子下1期仮設住宅”の目の前です、
大家さん宅の作業場を改装しての場所です。ですから私たちは工房の出来上がる様子を楽しみに
眺めていました、もちろん昨年12月の工房の開所式には”童子下1期仮設一同”として
お祝いのお花を贈りました、ですから今日の日の販売所のオープンが ”すごく嬉しいのです”
まあ震災で思いがけなく入谷の童子下地区の皆さんにお世話になっています。
山懐に抱かれた里山・入谷の皆さんと”ふれあって、育んで、よろこんで”楽しい気持ちなんですよ、
下の写真は昨年の11月始めの「ビーンズくらぶ6人のメンバー」の農作業の合間、”いっぷく(-。-)y-゜゜゜”の様子を、童子下1期の仮設駐車場から”コッソリ”撮った写真です、今となると自分としては
イイ写真だと思っています。
南三陸 入谷童子下
全国でも珍しい個人所有の島です。
この島はこの地に住む私たちの心の拠り所....東日本大震災の大津波で被災したみんなもそうですが、
南三陸に戻りたい、海の近くに住みたいと思う心は...志津川湾を支えるこの島があるからです。
この島「荒島」は、この町で育み思いを大切にしている人々のシンボルなんですよ、
ブログ投稿の写真は18日の”大荒れの様子”です、この日は大荒れの天気予報は......、
自分の気持ちを”せかせる”ような TVやマスメデイアには不安が募りました。
そんな朝の9時ごろ、お客様から電動自転車の修理依頼、...ワタシ「雪降りが止んだら伺います」
オキャク様:なに?「ユキ?どこで降ってんだ!」....ワタシ「入谷は大雪・何んですけど!」
オキャク様:「山奥で商売しるからだ...早く出てこい!」と言うやり取りでした。
山間のお店(入谷)から志津川地区の沿岸部のオキャク様までの道のり、お店(仮設)を出た時は道路は2~3㎝の圧雪状態でしたが、海の見える志津川地区に来たら....ユキはなく雨模様でした。
※ オキャク(私の親愛なる同級生)
1枚目のブログの写真は(下の写真)オキャク様の自宅前からの撮影です。
近寄れない!
修理車:電動自転車を軽トラックに積んで、折角だから荒島海岸まで近寄ってみました、
写真の様子は 海が荒れ狂って近寄れないのです...今日は特別な日!
穏やかな日は、この堤防に腰をおろし 遠く果てしない太平洋を望むと...心穏やかになるもんです、
狂う時もあれば 穏やかな時もあれば 心落ち着かせなければ ”ならない” 時だってあるさ、
詩人:和合亮一さん 写真詩集、「私と あなた ここに生まれて」より
私にも
あなたにも
実りがある
一つ一つの
季節に
ああ拳はにぎるものではない
開くものなんだ
ああ目はにらものではない
ほほえむものなんだ
ああ言葉は突き刺すものではない
つつむものなんだ
「なんだ」
気づいたときに
青空を
見上げてみて下さい
あなたを見上げるように
ほら
実っていく
夕焼け
南三陸 志津川
南三陸 上の山八幡神社の”どんと祭”は1月15日の早朝です。
今朝は天気も良い風もなく穏やかでした、そして神社の境内の梅が咲き始めました、
私の記憶では初めてです。
若い宮司さんご夫婦に伺ったら、震災前の”三分の一ほど”とのことでした、
正月飾り”お焚き上げ(供養)を神社にお願いし持ち寄る方々のことです。
初々しく交わす初春の挨拶は...この”上の山八幡神社”からのワタシでした。
正月気分を払しょくし、本当の意味での「一年の計」に”願”かけるのです。
ですから、「清酒:真鶴を」ぐぐぐいっと”....でしたがとなりの 甘酒にしました(笑)
”ぐぐぐいっと”やってる方は私の知人で、家族とやってきた彼の意気込みには相当なもを感じました。
商売繁盛、無病息災、交通安全と願いは....聞いてみると、私と同じでした(笑)
まあ商売をしてると神さまに御すがりして心穏やかにするのが一番です。
鳥居の先に見えるの茶色い構造物が”防災庁舎”、すぐ左隣が私の自宅があった所です。
昔は家並みがあり見渡せなかったのに、とにかく街並みが復興し八幡神社に賑わいが戻ることを
”八幡神社”にお祈りしました。
白浜は北上川河口にほど近く太平洋からの潮の流れが、良質な砂浜を形作ります。
夏になると海水浴場としてすごく賑わっていましたよ、
白浜に来るには、私の家から車で30分ほどのところ、
いつもは夏の終わり、もしくは今日(10日)のような寒い日とか(笑)
下の写真(2枚目)だって夏模様に見えますが実は2007年の10月の終わりの撮影です、
その日の天候と、お日様の陽ざしの角度により...いろんな風に写るのが...写真って面白いと
思っています。
とにかく自分としては、物静かって言うのか、”ひっそり”と誰もいない場所で撮るのが大好きなんですよ、....そうこうとブログ書き込んでるうちに、
今、サッカー・リオ五輪 アジア地区予選で
” 日本×北朝鮮 ”激闘の末....難敵・北朝鮮に勝利しました!
上の写真は、白浜海水浴場の砂浜で唯一集える ”憩いの”場所でした。
まあ津波で流されてから 初めて訪ねたのでしたが、
”白浜が、砂浜が”、以前のように修復される様子を感じ取れたことは...嬉しかった。
石巻市北上町十三浜・白浜
あてもなく乗りこんだ軽トラックの座席には...久しぶりに戻ったPentax(K-5Ⅱs)
約一か月ぶりの愛機の感触でした、
人間であれば...人間ドックで”ひっかかって検査入院”ってとこかな(笑)
まあなんであれ、時には「オーバーホール」ってのが絶対必要。
わたしの年齢になると、飲みすぎず、適度な運動と、適当に頭脳を刺激すること、
バイクと自転車の修理業を営む自分としては”手先と頭の神経の屈指は必須”なのです。
必須を維持してるワタシとしては...あとは健康をどのように保持増進するかが大切な課題なのです。
健康の保持増進は、まずは”気持ちよい空気を体いっぱい吸い込んで”...歩きだすこと、
そのうちに心が軽やかになります、少しでも汗ばめば 「しめたもの」。
おもむろに一杯の水を ”ごクっと”喉越し深く...気持ちイイ快感は、持続の始まりです。
あとはお酒控えめ,禁煙です。”町の国保運営委員”の自分からの呼びかけです(笑)
でも...自分への忠告でもあります。
ところで今夜のブログ・コメントは...お酒のせいで話題が反れてしまいましたね、
1枚目と2枚目の写真撮影は ほぼ同じ場所からです、
1枚目はきのう(10日)、2枚目は2006年12月31日の撮影したものです。
撮った気持ちは あの頃も今も気持ちは同じ、ただ年月だけは進みましたが、
1枚目の写真はきのうの昼頃でした、腹ばいになり、寄せる波を気にしながら撮りましたよ、
写真左側の岩が神割崎の方、右側の島が十三浜、撮ってるワタシの位置が境界線です(笑)
我がカメラで今年の撮り始めは、下(3枚目)写真からです、
戸倉地区の高台移転に公営住宅・R398線の復旧復興は急ピッチで進められています、しかし
海岸沿いの防災堤防施設等はこれからかな、
南三陸 戸倉
新年に思うこと。震災4年目もあと...二か月となりました。信じられないほどの時の速さに....嘆きだけが残ります。(注:希望は確りと抱いています)きょうの写真は震災数か月後 ”中国...
”gooブログスタッフ”から1年前に書いた記事の感想を書いてみませんか?の問いかけに素直に応えての今日の投稿です。
2016年は震災から6年目となり復興がますます進むことを期待しています。
ただし復興が進むほど...以前の街並みが”消えていく”のが非常に残念です。
2015国勢調査速報値では南三陸町の人口減少率は約29%そうです、津波被災地の沿岸自治体は減少率上位を占め深刻です。
復旧復興が進み新たな町として生まれ変わり ”活力ある町、明るい町”として人々が再び戻る..「一歩」となる、
2016年に期待します。
3週間ぶりで修理に出した”PANTAX K-5Ⅱs”が戻ってきました。
昨年の12月初旬、東京出張と仙台での女性セミナー開催当初は気持ちよく作動してた愛機1眼レフでしたが、突然のトラブルでした。...あの手この手と改善を試みましたが...× でした。
結局は”ペンタックス・リコーイメージング修理センター”にお願いし、ようやく本日戻りました。
その間の4週間は一度もシャッター切ることもなく(正月2日の投稿写真だけはお借りしたカメラで、)
久しぶりの愛機と対面の時は....一方的ではありますが”奥深いハグ”となりましたよ(笑)
まあカメラもなんですが? 久しく連れ添うと「なかなか切れない縁」です。
ましてや”被写体となる風景”が自分の心を支配すると ”永遠に少年時代”...だもの、
石巻市 北上町・ 新北上大橋付近...東日本大震災以前の撮影です、
今はこのような風景は見ることができませんが、いつかこの風景に出会えることを祈ります。
8年ぐらいになるのかな、町のカルチャ―教室の写真仲間で写真展を開きました、
それは街並みの小さな一角をお借りしてのささやかな喜びでした。
写真仲間5人と先生、教室の先生は南三陸の山奥で”豚飼い”の暮らしをしていました。
先生は写真家でもあり写真集や「フォルテシモな豚飼」と「ピアニシモな豚飼い」の
本を出されています。
写真教室では私たちが撮りためた写真の”良否”のみ...アドバイスは「楽しんで撮れ」です、
カメラ付き携帯、コンパクト、一眼レフと 皆んな それぞれのカメラで集いました。
写真展は「先生の思いと私たちの心が一つになりました」まったくの初心者でしたが
その写真展が凄く評価をされたんですよ、”芸術的組写真として”。
とにかく自分の撮った今日の投稿写真ですが、当時 "写真仲間のタエコちゃん"と
写真談議になり...口角でした。とにかくイイ思い出となった写真展でしたが、
”そんなタエコちゃん”とは2011/3・11以後お会いしていません.......
5年ですよ、3月になると、
信じられないほどの早さです、まだまだ これからの準備の先は ... 戸惑いばかりの私ですが、
下の写真は震災前...いつの日かは忘れてしまいましたが、
我が家の元旦に、トイレに掲げた「一年の計の格言」でした。