8年前、3月20日撮影の南三陸警察署.敷地内での写真です。
父方の叔父さん夫婦と叔母さん3人の行方が分からず...どうしようもなく、途方にくれた時でした。
8年前、3月20日撮影の南三陸警察署.敷地内での写真です。
父方の叔父さん夫婦と叔母さん3人の行方が分からず...どうしようもなく、途方にくれた時でした。
とうとう買っちゃいました。“デジタルカメラ一眼レフ”ここまで到達するのに1年以上かかったのです。資金のこともあったのですが、豊富に出回っているので凄く迷ったのです。決定したきっかけは、ブログを通じて知りあった、dickshigeさんの”心あたたまるひと押し“でした。
もう1つ、布石があったのです。30年前の話になりますが、当時 私は、写真に興味があるとかカメラが趣味とか、一切なかったのです。 取引先の社長の息子さんが大のカメラマニアで私の顔を見つける度にカメラ談義、自分は営業マンでしたので“彼の自慢話”の聞き役に過ぎませんでした。 “福島吾妻連峰をカメラを担いでの縦走。西の空が真っ赤に燃えた夕焼け。岩肌の蔭にかくれて可憐に息づく花の話など!それはそれは素晴らしい世界でした。
いつしか、私の手元には彼から譲り受けた中古の一眼レフ、ペンタックスSP、SL。2台の所有者になったのです。その後 私は、実家に戻り自営の自転車屋さんになりました。その頃からこの一眼レフ 2台は深い深い眠りについたのです。
4年前にキャノンIXYデジタルを購入しました。カメラから覗いた南三陸の風景が 私を一変させました。海、山、川、自分のすぐ隣にこんなに素晴らしい自然があるんダ!と 感動しました。 そのときから私の左胸ポケットに、いつも“デジタルカメラ!” いっぱい撮り続けました、でも“感動”をもっと鮮明に“自分のもの”にしたい! 「一眼レフデジタルカメラ」が欲しい…….! というわけでした。
とうとう、我が家にやって来ました! PENTAX*istDS【ペンタックスイストDS】
記録は記憶を蘇えらせ、あの日にかえれます。… *istDS
昭和35年5月24日、記憶ではAM5:00ちょっと前 わたしの家の前、八幡川の画像です。 【チリ地震津波】
私が最初に気づいたのは朝の四時頃、寝ている時、ザワザワと音がしたので、窓を開けてみると、八幡川から水が溢れてきていた。ランドセルを背負い、家族で避難し、まもなくサイレンが鳴りました。
八幡橋の上まで来た時、川底が見えてきた。誰ともなく 「大津波が来るゾ!」その叫びが今でも心に残っています。汐見橋の方向に何重にも重なった波が 壁の様に押し寄せてきたのを確認しながら、私は一目散に高台に逃げた。そして小学校の高台にたどり着いたと同時に、グランドにも水が押し寄せて来て危機一髪だったんです。
その時、母と妹がみんなと離れてしまい、どうしようと言う心配と、津波の恐ろしさで、小さいながら気が動転したのを覚えています。高台から、自分の家が見える。平和に暮らしていたのに!津波がだんだん押し寄せてきて、水に浸かっていくのを見ながら、子供ながらに 寂しいとか 虚しいとか 悲しいとか....当時の写真を見るのが今でも嫌です、涙が出てきます
......津波の犠牲者は41名でした。