あっと言う間の2月でしたね、
それにしても、もうすぐ3月11日震災から11年目を迎えます。
なんだかすべてがアッという間...信じられない速さで過ぎ去り...気持ちだけは置き去りにされ。
震災後、JR気仙沼線の柳津~志津川~気仙沼(55.3㎞)間の鉄路が廃止になりBRT(バス輸送)に...
要するに線路だったところをバス専用道路に転換して汽車の代わりに高速バスを走らせ復旧しました。
以前は部分開通だった気仙沼線でしたが
昭和52年12月に「柳津駅~志津川~気仙沼駅」間が鉄路でつながり気仙沼線全線開通となりました。
当時、沿線中心地の志津川町は90年越の悲願達成に人々は喜びに沸き「明るい未来と希望に」心弾ませた事
昨日のことのように甦る 私です。
奇しくも
東日本大震災で「柳津~志津川~気仙沼間」の鉄路は流失し 震災後は様々な事情があり 鉄路は復旧には至りませんでした。
在りし日の写真を眺めると、悲しくて、寂しくて、虚しくて、鉄路を走る汽車の風景は...愛おしくて。
南三陸町(志津川)
1枚目:気仙沼(本吉)小金沢駅構内踏切(流失)
2枚目:豊里駅~御岳堂駅間跨線橋から
3枚目:御岳堂~柳津間の鉄橋
4枚目:大谷海岸付近(流失)
5枚目:南三陸町志津川駅付近(流失)