ふたりでいれば、こころが 強くなれる、
とにかく、 気づくこと。
新しくなること、笑顔になること、嬉しくなること、
南三陸 志津川小学校グランドから(震災前)
ふたりでいれば、こころが 強くなれる、
とにかく、 気づくこと。
新しくなること、笑顔になること、嬉しくなること、
南三陸 志津川小学校グランドから(震災前)
朝な夕なの川面は....その日の疲れをいやしてくれる。
ガラスコップに並々と注いだ清酒を片手に酔いしれたとき、我が家の2Fは極上の観覧席。
まあ 2Fからの眺めは 津波で無くなってしまったけれど。 思い出の全ては、この場所が永遠なのです。
南三陸 志津川 八幡川(自宅2Fから)
1枚目:2009年11月撮影
2枚目:2007年7月撮影
3枚目:2010年3月撮影
「手を合わせ 拝む姿の 美しさ」
自分としては、まだまだ先が見えないのすが 手を合わせると 気持ちが穏やかになり 心豊かになります。
2012年 3月22日 撮影 南三陸志津川 大雄寺
復興から発展期とマスメディアは大きく取り上げる、...災害公営団地ができ、住宅再建が進み、新しい商店街が誕生!...と、
状況と発展が進めば進むほど、自分の決断が.....迫ってきた今週なのです(笑)
もうチョッと...10年も若けりゃ理屈なしで”店舗兼住宅”を再建できた筈ですが(まあ...年なんですね。)
国の金融機関は、「意欲&精神力・低金利貸付..フラット90歳」.....震災優遇・特例措置を新設していただければ....”町は蘇ります”
南三陸 志津川 「海 山 川」
自分の気持って...時々は、気まぐれになります(笑) そんな時って少しこころが不規則なときです。
まあ 今以上に それ以上要求する自分があるから(笑)
まあ 周りを気にせず まい進するってことかな、
南三陸 入谷 鏡石(お店の前)
この光景はしっかりと心に刻んでいます。
6年の時が経ちました。まだ仮設住宅住まいの私です。
いまだに自宅再建か災害公営団地か...そして店舗の本設と、苦悩するばかりです。
理由は簡単!
再建だって本設だって..."意欲と心意気が備わっても" (年齢に対する金融が..意欲を削ぐ)
諦めはしない!
自転車屋の本当の”自分力は” 68歳過ぎてから解る、約88歳まで生きるとして...「その後の20年」結局は 「健康が勝負だ」
震災の「悔しさの克服は」人間力、
自分の力で走る楽しさ
自分と対話しながら走る
自分のペースで走る
自分で“楽しみ”を創造する。
自転車と自転車屋はきっと高齢化社会に貢献する、88歳なっても乗れる自分を作る。
南三陸 志津川(志津川小学校校庭から撮影 2011/3.11)
いやぁ~こんな景色...気持が洗われますよネ。
テトラポット周辺は絶好の”アイナメ”狙い!
南三陸町「名勝・神割崎」から車で5~6分ほど、隣町の北上町十三浜 小指(こざし)漁港。
太平洋を正面に...北上川河口です。
釣りはホトんどしない自分としては、釣りの戦果を覗いては ”冷やかしたり感激したり楽しんだり”
体長45㎝以上はアル、”アイナメ”には感激でした。(完璧に今酔は...刺身で乾杯)
”たまにはこうして車を走らせると”... 思ってもみない光景に、しきりに嬉しくなったり・感動したり。
石巻市北上町 十三浜(白浜)
南三陸町志津川小学校卒業式 数日前の...東日本大震災でした。
震災当初は情報も状況も伝わらず不安が募るばかりの...志津川小体育館の避難所でした。
誰からとなく.....「卒業式をしてあげよう」と伝わってきました。
あの時は、震災の事わすれて一途な気持ちでした。
2011/3.28 無事卒業式を迎えることができました。
卒業式に参加できたことは感無量です。
「明けゆく海に飛ぶかもめ 自由の翼 陽にはえて 海幸あふれ 山幸も
ゆたけきところ志津川に 輝き立てる」
母校、志津川小学校の校歌を歌うことができたことは感動でした。
当時の卒業生も...3月1日高校を卒業しそれぞれの道へと進みます。
あの日から6年、時の流れは早いものですね、