優秀な遠隔装置の水門、津波対策の避難場を兼ねた松原町営住宅、”あの日、がんばった”のでした.....
今は生まれ変わろうとする町と共に取り壊されました。
寂しいもんですね、 別に気にしなかった日常だった全てが.... 消えて行くことって,
南三陸 志津川
優秀な遠隔装置の水門、津波対策の避難場を兼ねた松原町営住宅、”あの日、がんばった”のでした.....
今は生まれ変わろうとする町と共に取り壊されました。
寂しいもんですね、 別に気にしなかった日常だった全てが.... 消えて行くことって,
南三陸 志津川
春彼岸も昨日で開けました、
テレビのニュースではちらほらと「サクラの開花だより」...”うららか気分”の春風に、
チョッとだけ嬉しくなったワタシです。
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彼岸入りの17日は早めの”墓参り”でした。檀家としてお世話になってる「曹洞宗・大雄寺」の共同墓地からの撮影です。震災後は、春彼岸、お盆、秋の彼岸と...墓参の時は必ずこの場所から写真を撮ることにしています。
今回の撮影は1年前とは大きく違い、目に映る景色...復興への変化に ”お墓に眠る皆さんと”小躍りした自分でした。
南三陸 志津川
嬉しさに、切なさが動く...3月。
2007/3/10撮影 南三陸 旧入谷中学校
まあ誰もが通る........社会人へのスタートライン。
春色の汽車に乗って~ 🎶🎶 ♫(^^♪ とこかな、
南三陸 志津川
晩酌の行く末の酒のみ^^思い付きの画像の投稿も気分転換になります。
まあ可愛くはないのですが、....忠実って言うのか、その律義さに気持ち引かれました。
Commemorative photography
お店の裏手の土手、先日のフキノトウを見つけたところから斜め上5㍍ほどのところ、とにかく
私の住んでるこの里山は一年中お花畑ッてところ(ニコニコ)。
写真の菜の花はこの一本だけ、周りはまだ冬枯れに少しだけの春気配...チョッとだけ狂ったのかも(笑)
でも今年の1月2月3月はイイ感じの天気だったんですよ、
とにかく私の住んでる”入谷.鏡石”の里山は...温暖で穏やか、観光地的に例えると「南房総」っとこかな!
smc PENTAX DA16-45 f4
にぎわう報道でしたね、2016/3,11。
私が住んでる山間の入谷地区は穏やかでしたよ、ですから当時をふりかえりつつ「心行くまで」...合掌でした。
(JF19:Cylinder head)
まあ、”焦らず”ってことです、
年も年なので^^コツコツとヒタスラニ、フリムカずって、...進みたいですね。
とにかく毎日が悪戦苦闘(笑)、
オートバイの昨今のメカニズムは...”コンピュータ制御システム”が主流に、「技術力+知識力」へと変革なのです。
少し知識を得て、少し若返る....そんな気持の6年目、震災復興の糧にしたいと思っています。
もう一つの戦慄だったのは、津波直後からの火災でした。
私が避難した志津川小学校の一つ向こう側の山際から発生した火事、...とは言うものの状況は分からず、
迫り来る煙で不安は増すばかりの一晩でもありました、
写真は朝の5時50分ごろの状況ですが、一向に衰えない火勢に凄く”掻き乱れる”思いの自分でした。
”呆然とただずみ” 為す術(なすすべ)もない...ひ弱さに自然の驚異を思い知らされました
下の写真は志津川小学校校庭からです、目を凝らしてみると人の動きが感じられました、
もしかすると...”助けに来てくれた”人たちと...気持ち「躍りました」
生きた証なのかな、...避難所では
近しくなかった誰れもが、抱き合い背を叩き”無事と安堵の姿は、まるで外国映画のシーン様でした。
その光景を直面し、
人間って何もかにもが、無の気持ちになると...”感情を素直に表現できる”ものだと思いました。
南三陸 志津川小学校校庭から
性格は少し前向き、必死に耐えてきた分けではない。
目の前の出来事が、さっきの様な.....気がする、
「天、空、地、からの”おののき”」は、神さまや仏さまの世界を(想像と幻覚)超え、
世界を震撼させた衝撃は、後世へ教訓として...伝える役目の私です。
被災後の自分たちの生きざまも...非常に重要となります、
時間が癒すわけでもないが、
まあ...とにかく上手く乗り越えてきた...つもり、
とにかく...”健康で元気”が一番!
そして凄く必要なことは ”精神力”....どんなふうに養うかは人それぞれです、
緊急事態の発生時に、少しでも”落ち着いて行動できる”自分を訓練することは”大切な防御になります。
新たな?希望に満ちあふれ.....自転車屋の自分は、自転車操業に果敢に挑戦しペダルを踏み続けます!
南三陸志津川
写真の解説:上から1~3枚目は志津川くろしおグランドの津波の様子、4枚目は被災直後の模様。
5枚目は震災翌日の朝(am6:10)の市街地
6枚目は震災1年後
7枚目は昨年(27年秋)の復旧状況
8枚目はきのう(10日)撮影しました、くろしおグランド~志津川中学校方面への新しい道
9枚目は震災前の市街地、気仙沼線志津川駅まえ周辺。
きのうの温かさで一気に咲きました。
ワタシのお店の裏手、日差しの良い土手に.....”春が来た”
戦々恐々、もう一つの春、
準備万端!整っています。
南三陸入谷鏡石
”穏やかで、優しくて、平和であれば”....元気が出ます。
「春3月」自転車屋の自分は、"春商戦のスタート"なのです。
震災から5年経ちますが、南三陸の町造りは、まだまだ先のこと、道路ができて街並みができて、
賑わいがもどり、笑顔が戻る。 そんな希望を心へ、今年も.....「春商戦なのです」
南三陸 志津川湾
下のブログは昨年3月にアップしたものです、1年前をふりかえって...
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女子の健やかな成長を祈る節句ですが、雛壇の左に居座る「日本男児」だって頑張ってんですよ、
一年前の”お雛様まつり”を振り返る自分ですが、時の流れは早いものですね、
この調子で南三陸の復興が進むと来年は、新居かな......!
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アッ!と、いう間の3月です、時間...って待ってくれないのですネ。
自分は あの時(3/11)の思いが止まったままの.....5年なのです。
その時から、支援、応援、義援、援助、絆、ボランティア、瓦礫....etc。
それまでは聞き慣れなかった言葉が.....現実となりました。
3月11日で、東日本大震災から5年となります...とにかく5年って早いですネ。
あの時以前の自分は、何もかものニュースの出来事は、テレビ”の向こう側の事と思っていました。
でも、震災で全てが無くなり弱気になる自分でしたが 皆さんからの「言葉とか、励まし」に凄く喜びに感じました。
そして、ワタシの背を押し”勇気を与えてくれた皆さんには” 本当に感謝申し上げます。