きょうで2月ともお別れですね!
お店の周辺の山々や散歩道の杉林の花粉は「満を持して」います...もう~限界かも。
明日からはマスクかけて用意周到にしてウオーキング.....「目・鼻」には影響ないのですが、体のアチ‐コチが狂うのです(笑)
南三陸 入谷鏡石
きょうで2月ともお別れですね!
お店の周辺の山々や散歩道の杉林の花粉は「満を持して」います...もう~限界かも。
明日からはマスクかけて用意周到にしてウオーキング.....「目・鼻」には影響ないのですが、体のアチ‐コチが狂うのです(笑)
南三陸 入谷鏡石
川の「右岸」「左岸」は川の上流から下流を見た位置。3枚の写真はほぼ同じ立ち位置で^^河口(海)に向かって撮っています。
上の2枚の写真...2016/2月初旬に撮影したものです。
3年も経つと”すっかり変わって”しまいました。
往時の面影がなくなるのは...なんとも寂しいものですね、
TaKaRa缶CanCHUHIをグイッと!....のど越しに春がやってきました。
グイグイと重ねる夜に、喉越しの奥のほうでは青春が花盛りなのです (あの日の頃に帰りたいと)
震災前の自宅の畳の上から撮りました懐かしい写真です。
遠い...異国(英:Wine、仏:Vin、伊:Vino、独: Wein )の飲み物だったワインがここにきてグッと身近になりました。
私のワインとの関係は25年前の事です、当時思いもよらないことで胃を3/4を切除することになりました。
晩酌は仕事のからの解放と明日への「栄喜」 欠かせない自分でした。
術後...日本酒がダメ! ビールダメ! 焼酎:ウイスキーは もちろんの事です。
仕事とプライベートの区別がないまま生活を続けることはホンとに辛いことですよネ(笑)
日本はダメ、アメリカもダメ、...ある時ふと思いついたのが...欧州(ヨーロッパ)のワインのことだった、
当時は酒のディスカウントは田舎にはなくワインというと高価なイメージでした、馴染みの酒屋にワイン事情を聞いてもよく分からなかった。
まあ時代が進みました...チリ産の安価なワインを こよなく愛しているワタシですが、
ここに来てヨーロッパワインの関税撤廃で安くなる、...早速、酒類豊富な”やまや”に行きました。しかし、
よく考えみたら、チリ産も欧州も、カナダもオーストラリアもアメリカも... 自分にはとっては安にこしたことはない「テーブルワイン」
仕事を終えた後の...ほどよい”酔いごこち”が一番! ワインの美味しさも値段の安さも 自分の心が 寄り添えば...バンザイです。
南三陸 志津川 サンオーレ袖浜
59年前のチリ地震津波のときは...この「柳の木」の場所に家族で避難しました...当時は志津川小学校の校庭でした。
川沿いの住まいだったので...「地震と津波」は”つきもの”として常日頃敏感でした。
昔の事ですから今みたいに情報は少なく町のサイレンが鳴ると...ほとんどの人は火事だと思っていましたし...、
小学生の頃で、あの時の事は今でも鮮明に覚えています。その時の津波の経験と...その後の生活は
「地震があったら 津波の用心」って言い聞かせて...この齢まで生きてきたと思っています、
そして東日本大震災の津波の時・家族4人(父:当時92才 母87才 私と妻)助かったのは、チリ地震津波の経験と日頃からの備えと思っています。
私の父と母は小さな地震であっても、いつも津波が来ると思い込み、高台に逃げる行動をしていました。
そんな父母の背を見て来た自分は...用心深くなったことは、...ホンとです。
天を押し上げ、地よ鎮め、正面からくる波に...治まれ!
下の写真は2011年/3月12日 志津川小学校体育館避難所の母:よし子さんです...防災頭巾をしっかり身に着けています、
私も思わず写真を撮りましたが、よし子さんに話聞いてみると...「いつも枕元に置いている」とのこと、
避難所を見回しても...こんな格好してる人はいません!.....「備えいれば憂いなし」とつくづく感心しました。その、
よし子さん:まだまだ元気な95才です。
あと一ヶ月で東日本大震災から満8年になります。
あの時の事は、時計が止まったまま...今も現実なのです。
天災は「いつ」「どこで」「どのよう」に起こるか予測ができません。
とにかく いつ起こるかわからない災害に備えて...安心・安全を心がけている私です。
下の写真は2月3日の午後5時ごろの撮影です。
震災後の南三陸の市街地です、新しい街が出来つつあり復興もだいぶ進みました、
これからの大切なことは、新しい街のコミュニティの再生です。
米:1枚目は袖浜サンオーレ、 2、3、4枚目の写真は志津川小学校校庭、同じ場所からの撮影です。