南三陸 海 山 川!

http://blog.goo.ne.jp/hiderinn_s

べゴ小屋

2011-05-30 22:09:03 | 南三陸 海山川



べゴ=牛




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先日投稿した、”女の子と牛べこ小屋の・・・”
ブログの親友tatsubo-Hさんに....どうして記事消えたのって言われ、
ハタと気付き...今日の言い訳け投稿となりました。

コメントを頂いた皆様には本当に申し訳ございませんでした。
ホンとは写真差し替えようとし、うっかりして削除したことにお詫びいたします。
写真の女の子は私の孫です。
よくよく考えたら大人なって美人に成長した暁には....掲載しがいがイイと思いました。




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それにしても昨日からの台風の余波か ”大雨と強風”。
我がお店も防御の仕様もない”べゴ小屋”です。





”雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ 震災ノガレキニモ 
                    優シイ心ト 切ない気持ハ...希望へと”  




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                                                           南三陸 入谷 童子下




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新緑の....

2011-05-27 22:17:49 | 南三陸 海山川



震災のせいか、今年の田植えは全般的に遅いようです。
でも新緑はますます深まり、時折真夏の気配、




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南三陸の今、瓦礫の凄まじさから湧き上がる埃には圧倒され....防御するのみ。




上の写真は現在の様子です、
下の写真は以前撮影しました。

とにかく自衛隊の皆さんをはじめ、いろんな方々のご支援ご協力で順調に回復へと進んでいます、
被災者の私たちは本当に頭の下がる思いに....「感謝の念に堪えません」




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                                                    南三陸 旭ヶ丘 入口付近                                                  
                                                 



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わたしの八幡川

2011-05-26 00:25:09 | 南三陸 海山川





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「志津川 タコを食べる」 のぼり旗に観光を意識し、はためく旗に気持ちを乗せて今年一月頃撮りました。
その後ろ左にかすかにみえる”合カギ”の看板が我がお店。

写真見ると、なんでもない光景と思いますが、
実は八幡川のこの付近まで漁船がやってきて停留するのは珍しいことなのです。





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理由は簡単なこと、海水と山からの真水が合流する地点が私のお店の前なのです。
船を海岸に係留すると船底に青草がこびり付き除去に苦労するそうです。
その青草は真水に弱く一週間ほどで死滅し清掃しやすく最近”漁がない”時には、
私のお店の前で停泊するさせる漁師さんがふえてきました。




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でも自然の猛威は私たちの全てを消しまいした。




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新緑に燃え、

2011-05-17 22:02:53 | 南三陸 海山川



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ここ鳴子温泉、中山平温泉郷は只今新緑の時.....絶頂期、
こころと気分が癒されプラス思考へ....と。
一ヶ月ほどの鳴子温泉中山平”仙庄館”での避難生活でした。


ところで今日から一次避難所志津川高校へ戻ることにしました。
私の大切な友人 デザート・ムーンさん がここの避難所代表者なので...安堵しています。




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まさか自転車屋の私が家族を残し南三陸へ単身赴任するとは、
こんなことって不可解で不思議なこと。


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でも千年に一度しか無いと言う出来事(災い)に遭遇した自分は、生き延びたことを喜びに変え、







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                           左手白い建物 ”避難先 ホテル仙庄館”です。




新たなスタートと燃え、志津川高校避難場所からが再起です。




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                                              鳴子子温泉中山平16日撮影。
















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運動会

2011-05-14 15:48:04 | 南三陸 海山川



志津川小学校は毎年5月の2周目か3週目の中旬、土曜日に運動会が行われてました。
昨年は5月15日(土)です。ですから順調に進むと今年も...、
校庭から町中に子供たちの歓声が響き渡るはずでした。




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きょう5月14日土曜日が運動会のはず。

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まさかこの校庭に被災者用仮設住宅が立ち並ぶとは夢にも思いません。




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長い道程になると思いますが......


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悲しみのない自由な空へ、

2011-05-12 00:27:38 | 南三陸 海山川


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                                                                   汐見橋





大空へ飛んで生きたいものです。

でも現実は、生きていくための働きと、少しだけのお金と^^

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                                                        自宅前.....いつもの定位置。

                             




でも...たぶん....

  魂(たましい)と、精神と、肉体と、

                    健康があれば。 
                 
                  





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久しぶりでレンズを向けました、季節感を忘れかけた自分に、hiderinnちゃんがんばって....と。




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あんな時代があったと、

2011-05-09 02:17:10 | 南三陸 海山川




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一次避難場所は志津川小学校体育館でした、
志小体育館で一ヶ月ほど...”不安と心配さに”気持がち落ち着かない日が続きました、
少しずつ...全国の皆さんに”支えられてるなと”思うように感じてきたのは数日過ぎてからでした、

家族4人全員無事に安堵したことがなによりでしたが、
でも体育館での避難生活に入ると心配事が...父94歳母88歳が上手くこの生活に耐え切れるかと。

でも上の写真見ていただくと分かりますが私たちが心配するほどでもなく、
その状況と状態に高齢ながらも体が順応することに気づきました。
しかし高齢者にとって避難所の環境に、いつ体調を崩すかハラハラでした。

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南三陸町が二次避難先として高齢者、障害者、乳幼児等の家族を募集し、第一陣として応募しました。
今現在は南三陸から車で2時間ほどの鳴子温泉施設に二次避難しています。

私はと申しますと...週4日ほど南三陸へ仕事への模索と情報収集と、
しかし何も無くなった町に変化なし、いまだ行方不明者の捜索がつづいています。







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八幡川~私の部屋の窓辺より

2011-05-07 00:53:36 | 南三陸 海山川
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虹の向こう側の高台にある白い建物が志津川小学校です。
この高台から町並みを見下ろすのが大好きで、
なにか....この町を支配した気分と共に優越した自分が存在しました。






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その高台からこんな光景を写すとは夢にも思いませんでした。


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                                                           志津川小学校校庭から





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1枚目の写真の津波後です。

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上の写真は八幡橋から撮りました、ずーっと向こうに見える橋は汐見橋です。
八幡橋と汐見橋の間にもう一つ橋がありましたが流されてしまいました。
この橋は”中橋(なかばし)”といい私たちが生活する上で貴重な橋です、
夏には八幡川を中心とした”かがり火祭り”が開催され、中橋が舞台となります
まあ何もかもなくなってしまいましたが....。



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2008年8月31日かがり火祭り~開演3時間前


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ワタシの部屋の目の前、八幡川で繰り広げられます。
八幡神社からの御神火が かがり火となり、
60基のかがり火と両川岸には竹灯篭とペットボトルを灯篭にして川面を彩ります。

今夜6:30から ”かがり火祭り”が開演です。

川の中ほどの特設ステージをでは中国の楽器二弧の演奏とオカリナの演奏会。
中の橋では地元の郷土芸能が披露されます。
とにかくワタシもお店を気にしながらの準備の手伝い 合間をみつけてブログ投稿と、大忙しです^^

今夜の祭り会場では交通整理と警備の担当で息き抜く暇なし....。
祭り写真とれるかな?



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自分の本心、水上ステージでビールジョッキ片手に町民の皆さんと共に高らかに”乾杯!”って祭りがスタートしたら
町中が盛り上がるのですが(^^)
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さて今宵は(^^)
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                                           南三陸 志津川 八幡川 中橋(なかばし)


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3月11日のこと、

2011-05-02 20:13:53 | 南三陸 海山川
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上の写真、正面の白く赤文字でHONDAとかかれた看板がかすかに見えますが、これが我が家(佐藤輪業)です。
その右隣が南三陸町役場本庁舎です、その隣が白くて四角い建物が防災対策庁舎。その脇の赤い屋根が第二庁舎です。
この写真を撮影してた日は”春うららの”心地よい日でした (2007年、4月20日頃)
場所は上山公園,、津波時には避難場所にもなっていました。



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2番目の写真は,
私の家も役場庁舎もこの時点ではまだ流されていませんが二階まで津波が来ています。
八幡川には瓦礫が、


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3番目の写真は我が家が完全に流され、役場本庁舎玄関に覆いかぶさる様子が見えます。
その役場本庁舎も防災庁舎の前まで流されるのが分かります。
このとき八幡川は瓦礫で狂ったように津波が押し寄せています。





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3月11日は午前中から自転車バイクの修理が立て込んでいて忙しかった、
妻に急かされ昼飯にありつけたのは2時40分ごろ、
自分は”早く食べて、配達に行かなくちゃ”と二口目の飯を口に運ぼうとしたときでした。



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                                     八幡川(汐見橋から自宅を撮ったつもりですが...)


いまだ経験の無い激しい揺れと長さにはとっさに津波は絶対来ると頭がよぎる、
たぶんその後の行動は自分として的確だと。
その日は特別養護老人施設パート勤務の妻が休みだったのが幸いしました。
妻はガス栓を止め、94歳の父と88歳の母を2階居間から誘導しすばやく外へ、

父母も常日頃から地震と津波情報には敏感でとっさの行動に対処できていました。
この事は51年前に起きたチリ地震津波で被災した際、当時5人家族がバラバラで避難し、
家族の安否に心配と不安に苦労した経緯が苦い経験として脳裏に刻まれていたからと思います。

妻は父母を乗用車に、自分は軽トラックで高台の志津川小学校をへと、
ここまでは無我夢中でしたが意識はしっかりとした行動だと思います。

私は地震の最中、預かった自転車とバイクが気になりせめてお店の中か、中庭へと、
頭上では町の広報が”大津波警報”の緊迫した連呼、
必ず来る津波を確信し”早く逃げないと”と急(せ)かせる”何かに”気持ちが焦る。

お客様から預かった自転車やバイクは津波で流されたって誤ればいいし、”なにがなんでも”とりあえず逃げなくちゃと、
店の戸は閉まらず、居間の戸は閉まらず、こりゃ戻ってきたら修繕に金かかると思いながらも、
とっさに目に付いた”レジ”を開けようとしたが停電で開かず、いっそのことレジごと持ち出そうと思ったが、
人目に付くし自分らしくない、レジの中の現金に未練を捨てた。
結局持って逃げたのは、
自分はデジイチの入ったカメラバックのみ
妻は、商売用の支払カードと空の通帳一式、
父と母は、年金通帳と懐中電灯と防災頭巾。
それ以外に助かった財産は運転免許証のみです、あとは着の身着のまま。


家族が助かった理由は、欲を捨て高台に素早く逃げたこと。



 つづく

















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