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自分としては
家族としても、
大津波は必ず来ると予感をしていました。
それは以前からです。
海が近く川沿いに住む自分としては...地震があるたび川の満ち潮には凄く気をつかっていました。
「異常な引き潮、津波の用心」 このことわざは、八幡川河口、松原公園に建てられていた記念碑でした。
あの日、3・11の2時46分後の状況はよくわからないのですが、
たぶん遠隔装置の水門は即...閉鎖されたはずです。
川の流れの異常さに気づく状況であれば....まだ生き延びた人がいたはずと考えるこの頃です。
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ところで
我が家は理屈なし!の家族4人は、,地震直後から避難体制でした、
父(95)母(89)の”生きようとする念力と経験が”私たち夫婦を後押したことは確かです。
まあ、いつ戻れる風景かは分かりませんが、
八幡川に回帰する鮭(サケ)、 ”朝日が踊る”と.....なんか嬉しくなっちゃう,.いまの自分です(^^)
南三陸 志津川 八幡川
データーが手に入って/無事で=本当に良かったですね。
今となってはどうしようもありませんが、
トップのお写真の頃、南三陸に伺ってみたかったです。。。。
このお写真を、
そして、あの日の光景を、
このように同時に拝見できるのも、
hiderinnさんが無事であったからこそ!
戻ってきたデ-タの写真はどれも豊かな自然、風景、営みを体全身で感じているhiderinnさんを容易に想像できます。歌津の泊浜の夕日?を背景にした魚港防波堤の釣り人?、八幡川の遡上鮭の写真にはグット来るものがあります。早く元の美しい自然、普通の営みに戻れることを願うばかりです。
9か月が過ぎましたね。
生死を分けたものが・・少しは・・・
・
私の住んでいる町も、水害多発地区で
来年度に向け、防災訓練の準備中です。
(数年前は、水位が堤防と同じ高さぐらいにきました)
訓練でどうにかなるものでもないのでしょうけど
意識付けをしないとと思いつつ
・
でも
堤防を信じ過ぎていらっしゃる人が
多いような気がします。