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保健室では、いろいろな生徒がやってきます。
ケガ、体調不良、息抜き、相談ごと・・・。
養護教諭がそれぞれの子ども達の対応のためには、その場その場でいろいろな知識や対応のスキルというものが必要である。
外科的な知識と対応(あくまで応急的処置であり、治療行為はできません)
内科的な知識と対応(あくまで応急的処理であり、内服薬は投与しません。もちろん治療行為はできません)
人間としてのコミュニケーションスキル
相談活動におけるさまざまな専門的スキル
でもね。
ほんとに必要なのはスキルじゃない。
カウンセリングというスキルもあれば、コーチング的なスキルもあるし、
学べばたくさんの知識やスキルは身につくでしょう。
何事にも興味津々な私は、
あれこれ、たくさんのことを学んできた。
でも、それを、相手をコントロールするためのものとして使った時、
それは、互いの間から「信頼関係」を崩してしまう。
大げさな言い方ですが、
人の無意識層というのは、表面のスキルでは、びくともしないくらい強力だ。
どんなにすばらしいスキルやことばを使っても
相手を尊重してなければ、
表面的な行動にしか導けない。
どんな場面においても、コミュニケーションというのは、意識と意識のかかわりではなく、無意識と無意識が反応しあうものだからです。
「ごめんなさい」ということばがあっても、心のそこからのものでなければ、意識の上では、「あやまってくれた」と思っても、無意識はわかっている。
そのことが、本当かどうか。
生徒に声をかけるとき、自分の価値観に導こうとして、どんなすばらしいお話をしてあげても、説教をしても、それは、無意識層には届かない。
ある少年が、このところ、何度も来室する。
彼にずっと寄り添った時、彼の中の「不安」が見えてきた。
「さぁ、時間だから、教室へ戻りなさい」と、伝える時の彼の顔は、不安でイッパイ。
「時間だから、先生と一緒に教室まで行こうか」と、そばによると安心した顔をして、一緒に歩き出した。
ただ、寄り添っていて欲しかったのだ、とわかった。
腹痛を訴えて、廊下で座り込んでいた生徒。
その子の痛みを一緒に感じてあげたいと、いっしょに保健室に歩き出した時、その子が、私の手を握った。
ことばでは、充分に伝えることが苦手な生徒も、無意識と無意識がふれあうと、何かが伝わりあう。
子ども達は、正直で、直感で生きている。
きっと、大人も本来はそのはず。
大人になる時に、たくさんのものを身にまとって、大切な感性をなくしているのかもしれない。
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今日の日記、大変感動しました。
私は、学童で働いているのですが、表面上の言葉なんて、全く通用しません。こんなこと、昔だったら当たり前だったのに・・大人になって、いかに自分が、表面で人と付き合ってきたことが多かったのか、考えさせられました。
しかし、それとともに、姫先生のおっしゃる、無意識の通じ合いの素晴らしさと、嬉しさ、感動がほんとに幸せなものなんだって、わかりました。
子どもたちから日々、学ぶことばかりです。
私の言うこと、的をはずれていたら、大変申し訳ありません・・・
読んでくださり、どうもありがとうございました。
またお邪魔させていただきます。
では、失礼します。
スキル習得や研究のための指導になりがちな執務の場合も 今の教員社会 あると思うのです。
でも 今の生徒さんたちにとって必用なのは
ただ そばで感じて欲しいという 姫さんが言われるような無意識の部分を 感じる勘 なんでしょうね
でもきっと、姫先生が言われるとおり、相手の無意識を動かすなんて他人にはできないことなんでしょうね。
ほんと自分の考えを植えつけよとする・・コントロールになっちゃう
相手を認め、何があるのかを見つけてあげて、相手に気づかせてあげること・・・
それがカウンセラーの役割なのかな
心に響くコメントをありがとうございます。
みなさんのコメントが、ああ、そうだ、そうだと、私の学びと気づきにつながります。
人とのつながりや、無意識の部分での心のふれあいを、とてもうれしく感じています。