王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

10日 見せ場作った赤崎暁、五輪の日本男子マラソン歴代最高記録で6位入賞も

2024-08-11 07:02:14 | パリ五輪
10日 パリ五輪 男子マラソンが行われました。
世界の一流ランナーは2時間6分台で走る中、日本勢はそれと1分以上は遅れているのが現状です。それは置いておいて;:
【パリ五輪 第16日 ▽陸上 男子マラソン(10日、パリ市庁舎前スタート、ベルサイユ宮殿折り返し、アンバリッド(廃兵院)前ゴール=42・195キロ) エチオピア・トラが五輪新記録の2時間6分26秒でフィニッシュし、21秒差の2位には東京五輪銅メダルのバシル・アブディ(ベルギー)が続いた。日本勢では初出場の赤崎暁(あきら、26)=九電工=が、五輪の日本男子歴代最高記録となる2時間7分32秒の自己ベストをマーク。6位入賞と大健闘した。】と報じられました。
その一方で、過去2大会で連続金メダルを獲得していたエリウド・キプチョゲ(ケニア)は 30キロ過ぎで棄権し優勝のトラの補欠出場で優勝と合わせ新旧交代か?と伝える記事もあります。
赤崎選手は、「日本記録(2時間4分56秒)を出すまでは、僕はまだまだ。日本記録を出してから、僕は強いぞって言いたい」と今後も頑張ると言ってますから、そうあって欲しいと思います。
6位入賞おめでとうございます!

写真:6位入賞し国旗を持って笑顔をみせる赤崎暁(カメラ・岩田大補)© スポーツ報知/報知新聞社 

スポーツ報知:
◆パリ五輪 第16日 ▽陸上 男子マラソン(10日、パリ市庁舎前スタート、ベルサイユ宮殿折り返し、アンバリッド(廃兵院)前ゴール=42・195キロ)
 10日のマラソン男子(パリ市庁舎前スタート、ベルサイユ宮殿折り返し、アンバリッド=廃兵院=前ゴール、42・195キロ)で、初出場の赤崎暁(あきら、26)=九電工=が、五輪の日本男子歴代最高記録となる2時間7分32秒の自己ベストをマーク。6位入賞と大健闘した。「日本マラソン界の父」と呼ばれる金栗四三さん以来100年ぶりに熊本県民からマラソン代表になった26歳は25キロをトップ通過するなど見せ場をつくった。大迫傑(33)=ナイキ=は13位、小山直城(28)=ホンダ=は23位だった。(晴れ。気温17度、湿度74%、無風=スタート時)
 爽やかに晴れたパリで、6位入賞だ。両手を広げて爽快にフィニッシュした赤崎は「人生で一番楽しいレースでした」と満開の笑顔。アップダウンが激しく、五輪史上最も困難とも言われた難コースで2時間7分32秒の自己ベスト。25キロ地点は首位で通過した。「日本マラソン界の父」と呼ばれる金栗四三さん以来、100年ぶりの熊本出身の五輪ランナーは「いつも通り挑めた」と頼もしかった。
 メダルも狙える好走だった。約15キロから始まる坂の手前で「後ろの方にいたら先頭に追いつくのが大変」と判断して前へ。約25キロの下りでは集団のペースが落ちたが「自分のリズムで走る」と意識してトップに躍り出た。その後も表彰台が見える好位置で走り続けたが、約28キロの急激な上りに両脚の太もも裏がつりそうな感覚に襲われ「追いかけて後半大失速するより自分のリズムをキープしよう」と冷静に走った。
 坂対策は万全だった。最高地点は20・3キロ付近の183メートルで、上りは最大13・5%、同下りは13・4%あった。箱根駅伝の5、6区とほぼ同等の激しいコース。昨年11月に試走した際に「悲鳴を上げながら上った」と危機感を覚えた。そこで、高低差が85・8メートルある2月の青梅マラソン出場を決めた。「ここでしっかり走れなかったら、パリでは到底戦えない」と日本人最高記録の1時間29分46秒で走破し、手応えを得ていた。
 同郷の金栗四三さんは1912年ストックホルム五輪で途中棄権。「完走できて良かったです」と冗談めかした赤崎は、「日本記録(2時間4分56秒)を出すまでは、僕はまだまだ。日本記録を出してから、僕は強いぞって言いたい」。パリ五輪が、赤崎の本当のスタートだ。(手島 莉子)
◆赤崎 暁(あかさき・あきら)1998年1月21日、熊本・大津町生まれ。26歳。九電工所属。中学1年から陸上を始め、開新高3年時に全国都道府県駅伝4区10位。2016年、拓大に入学して箱根駅伝は4年連続出場。初マラソンは22年2月の別府大分で2時間9分17秒。パリ五輪前までの自己記録は同年12月の福岡国際での2時間9分1秒。23年10月のマラソングランドチャンピオンシップ2位でパリ五輪代表に初内定。170センチ。 
(引用終わり)
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10日 卓球女子は銀メダル 悲願頂点には届かず 16歳・張本美和「持っているものは出し切ることができた」

2024-08-11 06:43:17 | パリ五輪
10日 卓球女子団体決勝が行われました。素人目ですが個人戦の結果からみても中国勢を破るのは厳しいかもと思っていました。
【女子団体戦の決勝が行われ、日本は中国に0―3で敗れて銀メダルとなった。悲願の金メダルには届かなかったが、12年ロンドン銀、16年リオ銅、21年東京銀に続く4大会連続表彰台。中国が5連覇を達成した】と完敗。残念ながら銀メダルに終わりました。
悔しいけど強い中国勢を讃えなければいけないようです。
日本勢は「持ってるものはすべて出した」と全力を尽くした後の笑顔でしたから、目下の実力差を認めたのでしょう。
善戦でしたよ!!
おめでとうございます。!!

写真:<パリ五輪 卓球女子団体決勝>銀メダルを胸に笑顔の(左から)平野、早田、張本美(撮影・小海途 良幹 )

スポニチアネックス:
 ◇パリ五輪第16日 卓球(2024年8月10日 パリ南アリーナ)

 女子団体戦の決勝が行われ、日本は中国に0―3で敗れて銀メダルとなった。悲願の金メダルには届かなかったが、12年ロンドン銀、16年リオ銅、21年東京銀に続く4大会連続表彰台。中国が5連覇を達成した。

 今年2月の世界選手権の再戦。同選手権はシングルスのみの5試合制で、日本は2―3で敗れたものの、試合後に中国選手が安堵の涙を流すほどに追い詰めた。

 あれから半年。シングルス銅メダリストで左腕を痛めている早田ひな(24=日本生命)は、団体準決勝までの3試合は平野美宇(24=木下グループ)とのペアでダブルスに出場したが、この日は張本美和(16=木下グループ)とのペアで、陳夢・王曼〓組に立ち向かったが、2―3激闘の末に敗れた。

 第2試合のシングルスは世界12位の平野美宇(木下グループ)が、同1位の孫穎莎と対戦。第1ゲームは序盤にリードを奪ったが、ジュースの末に11―13で落とした。第2ゲームも6−11、第3ゲームも押し切られ、日本は後がなくなった。

 シングルスの第3試合は世界8位の張本が同3位の王曼〓と対戦。第1ゲームをジュースの末に14―12でモノにしたが、第2ゲームを10―12で落とすと流れは一気に王に傾き、16歳も敗れてパリの夢舞台は幕を閉じた。

 ▼張本 負けて悔しい。でも、自分の持っているものは出し切ることができた。

 ▼平野 自分の力はかなり発揮できた。最後の1点だったり、5ゲームで勝つまでには至らなかった。層の厚さを感じた。リベンジできる時があればその時までに強くなりたい。

 ▼早田 張本選手と公式戦で組むのはほとんど初めて。自分たちが持っているものは最大限出すことができた。最後、自分が先輩として足を引っ張ってしまった。あそこからが中国の強さだと思う。
(引用終わり)


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10日 北口榛花が金メダル!日本女子トラック&フィールド種目初 女子やり投げで大快挙 

2024-08-11 06:21:39 | パリ五輪
女子やり投げ決勝で北口榛花(JAL)が65メートル80で日本女子トラック&フィールド種目初の金メダルを獲得しました。
【女子やり投げ決勝で世界女王の北口榛花(JAL)が65メートル80で日本女子トラック&フィールド種目初の金メダルに輝いた。昨年の世界選手権(ブダペスト)を初制覇してから、今大会での優勝を期待され続けてきた北口。大きな重圧もはねのけ堂々五輪の頂点に立つと、“北口スマイル”がはじけた。日本勢の金メダルは今大会17個となり海外開催の五輪では2004年アテネ五輪を抜き単独最多となった】と報じられました。
世界女王を期待された重圧も何のその予選は第1投で進出決定、決勝でも第一投65メートル70を投げ、リードを守り(今年の自己ベスト超えですかね)この1投で優勝を決めました。
おめでとうございます!!!
決勝までに時間が有ったので「2018年 やり投げ大国チェコでジュニア世代を指導していたダビド・セケラクコーチと出会った。五輪王者を輩出する“強国”での指導を直談判。単身で渡った」事を知り、この努力が実り、コーチの指導と彼女の個性がともに生かされ、この日の大快挙に繋がったようです。
金メダルはそこら辺に落ちてるわけではないことが良く判りました。

写真:優勝した北口榛花(カメラ・岩田 大補) 

スポーツ報知:
◆パリ五輪 第16日 ▽陸上(10日、フランス競技場)
 【パリ(10日)=手島 莉子】女子やり投げ決勝で世界女王の北口榛花(JAL)が65メートル80で日本女子トラック&フィールド種目初の金メダルに輝いた。昨年の世界選手権(ブダペスト)を初制覇してから、今大会での優勝を期待され続けてきた北口。大きな重圧もはねのけ堂々五輪の頂点に立つと、“北口スマイル”がはじけた。日本勢の金メダルは今大会17個となり海外開催の五輪では2004年アテネ五輪を抜き単独最多となった。
 北口は1回目の投てきでシーズンベストの65メートル80をマークしてトップに。そのままリードを守り、最終の投てきをする前に優勝が決まった。競技が終わると一緒に戦ったライバルたちに次々と抱きつかれて祝福された。
 予選では1本目に62メートル58をマークし、自動通過となる62メートルを突破、2大会連続の決勝進出を1発で決めた。「当日しか競技場で練習させてくれなくて、練習という意味ではもう少し投げたかったというのはあるんですけど、1回で超えるというのがきょうの目標ではあったので、しっかり超えてよかったと思います」と笑顔を見せていた。
 チェコ・ドマジュリツェを拠点に強化を続けてきた。男女の世界記録を持つ強国に、19年に渡って以降、昨年のブダペスト世界陸上では国内女子投てき種目で初めて金メダルを獲得するなど躍進。筋力アップなど“土台強化”に重きを置いてきた。右肘のけがもあり、16年リオ五輪出場を逃した。21年東京五輪へ再出発する中で、18年11月にフィンランドで行われた学会でやり投げ大国チェコでジュニア世代を指導していたダビド・セケラクコーチと出会った。五輪王者を輩出する“強国”での指導を直談判。単身で渡った。当時を「積極的な行動を今できるかは分からない。その時の自分はよく頑張った」。苦労を乗り越えたことで実力を向上させてきた。
 今季自己ベストの65メートル21で優勝した先月12日のダイヤモンドリーグが“吉兆”だった。6月28日の日本選手権では優勝したが62メートル87にとどまり「各国の選手が調子を上げている中、自分が上げられていないのが一番の危機感」と話していた。今季は体に硬さを感じ「しっくりきたのが一本もない」という。ただ、自分の強みを見つめ直すきっかけにもなった。「私はスピードやパワーに頼った投げではない。大きさ、柔らかさをどうやって出すか、一から見つめ直した」と本来の伸びやかな動きに焦点を当てたことが大きかった。
 21年東京五輪では、日本勢57年ぶりに決勝に進むも、決勝では左脇腹の痛みなどで12人中12位に終わった。「東京の時は右も左もわからない。ただ『オリンピックだ、ワ〜』っていう感じだったんですけど、今回はオリンピックの過ごし方だったり選手村、試合の雰囲気を経験しているので、しっかり準備して臨めるかな」。重ねた経験、蓄えた実力を存分に発揮して大舞台で頂点にたどり着いた。
 ◆北口 榛花(きたぐち・はるか)1998年3月16日、北海道・旭川市生まれ。26歳。バドミントンは小学6年時の全国大会団体戦で優勝も、旭川東高で陸上やり投げに転向。2年時から全国高校総体を連覇。3年時の2015年世界ユース選手権(コロンビア)で金メダル。16年に日大へ進学。19年に66メートル00の日本新(当時)を樹立した。20年にJAL入社。21年東京五輪12位。世界陸上は22年オレゴン大会で銅メダル、23ブダペスト大会で金メダル獲得。23年9月に67メートル38の日本新記録をマークした。家族は両親。
(引用終わり)
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10日 【レスリング】元木咲良、女子62キロ級で金メダル!父子の悲願叶った

2024-08-11 06:04:57 | パリ五輪
またレスリング女子62キロ級で元木咲良選手が危なげない試合ぶりで見事に金メダルを獲得しました。!!
【女子62キロ級の元木咲良(22=育英大助手)が初出場で金メダルをつかんだ。決勝で東京五輪銅メダルのイリーナ・コリアデンコ(ウクライナ)を破った。
第2ピリオドに一気に攻めた。足を取って4−1と逆転するとアンクルホールドで転がすなど一方的。12−1とテクニカルスペリオリティー勝ちを収めた。
苦しかったこの1年を振り返り涙が止まらず。「今日も自分に負けそうになったけど、神様が助けてくれたのかなと思います」と話した】と報じられました。
準決勝では女子選手には珍しいと言われる「反り投げ」がさく裂、不利なカウントから相手をフォールし逆転勝ちを得ました。「その時ですかね? 神様は2度助けてくれないから(決勝は)頑張る」と誓っていました。
親子2代のレスリング選手で「師匠にして父親に感謝」しているのも微笑ましいですね。おめでとうございました!!!

写真:女子62キロ級決勝 金メダルに輝き、ガッツポーズを見せる元木咲良(ロイター)

日刊スポーツ:
<パリオリンピック(五輪):レスリング>◇10日(日本時間11日)◇女子62キロ級決勝◇シャンドマルス・アリーナ
【パリ=阿部健吾】女子62キロ級の元木咲良(22=育英大助手)が初出場で金メダルをつかんだ。決勝で東京五輪銅メダルのイリーナ・コリアデンコ(ウクライナ)を破った。
第2ピリオドに一気に攻めた。足を取って4−1と逆転するとアンクルホールドで転がすなど一方的。12−1とテクニカルスペリオリティー勝ちを収めた。
苦しかったこの1年を振り返り涙が止まらず。「今日も自分に負けそうになったけど、神様が助けてくれたのかなと思います」と話した。
準決勝では衝撃の大技を披露して決勝に勝ち上がった。ノルウェー選手相手に2−7の劣勢から「練習でも試合でもない」という反り投げがさく裂。外掛けにきた相手に反り返って、頭をマットにのめり込ませ、フォール勝ちにつなげた。「5点差ついた時は本当にもう…金メダルを取りに来たのに準決勝で負けてしまうんじゃないかと思って、本当に怖くて。神様が助けてくれたんだなって思って。その恐怖心から、安心した時にちょっと涙が」と目を赤く染めていた。
父は00年シドニー五輪男子グレコローマンスタイル代表の康年さん。親子2代出場を果たしていた。高校まで柔道選手だった父は20歳でレスリングを始め、30歳で五輪に出場。元木は3歳で競技を始め、ジュニア期は好成績を残すことはできなかった。「不器用」を自覚し、父と同じくこつこつ努力を重ね、フランスの舞台にたどりついた。「せっかくなら器用にしてほしかった(笑い)」と言うが、「お父さんより早く始めた分、成長できると思う。喜ばせたい」とも誓っていた。父が届かなかったメダル、それも1番良い色を届けた。
(引用終わり)

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9日 AMIが新競技ブレイキンで金メダル!花の都で魂のダンス 初代女王に輝き「実感なくてフワフワです」

2024-08-10 06:50:10 | パリ五輪
ブレイキンという競技は「20年12月のIOC理事会で、大会組織委員会の提案を受けた追加競技としてパリでの初採用が決まった」事は知っていました。その説明の一部に 「1970年代の米ニューヨーク発祥とされるヒップホップ文化に根ざしているとされる」と有りましたからアフリカ系の米国人が圧倒的に強うのだろうと勝手に思っていました。
ところが;
【◇パリ五輪第15日 ブレイキン(2024年8月9日 コンコルド広場)
パリ五輪唯一の新競技ブレイキンは女子決勝が行われ、湯浅亜実(25=ダンサー名・AMI)がリトアニアのドミニカ・バネビッチ(17=ダンサー名・NICKA)を下して金メダルを獲得した】 と日本の女性が金メダルですから驚きました。おめでとうございます。

写真:<パリ五輪 ブレイキン女子>金メダルの湯浅亜実(左から2人目)(撮影・小海途 良幹) 

スポニチアネックス:
 ◇パリ五輪第15日 ブレイキン(2024年8月9日 コンコルド広場)

 パリ五輪唯一の新競技ブレイキンは女子決勝が行われ、湯浅亜実(25=ダンサー名・AMI)がリトアニアのドミニカ・バネビッチ(17=ダンサー名・NICKA)を下して金メダルを獲得した。

 AMIは1次リーグ3連勝で決勝トーナメント進出を決めると、準々決勝ではホームの大声援を受けたフランスのSYSSYと対戦。華麗なフットワークで会場の心をつかむと、緩急を織り交ぜた完成度の高いダンスで審判の評価を引き出した。完成度を示す項目で相手を圧倒。実力を示し、危なげなく準決勝に駒を進めた。

 準決勝では福島あゆみ(41=ダンサー名・AYUMI)を準々決勝で下し勝ち上がってきたオランダのINDIAと激突。高低と強弱を使い分けたムーブで会場を沸かせた。判定は僅差となったが完成度や音楽性が高く評価され、決勝進出を決めた。

 決勝では昨年の世界選手権女王NICKAと対戦。この日6試合目ながらキレのある動きを披露した。流れるようなフットワークから音楽に合わせたフリーズ。様々なバリエーションを披露し、最大のライバルを押し切った。

 カルチャーのブレイキンを愛する。20年12月に五輪採用が決まった際は「スポーツという大きなものにブレイキンが押しつぶされるんじゃないか」と喜びをよりも不安が大きかった。五輪を目指すことを決断したのは、信頼する恩師・石川勝之さん(ダンサー名・KATSU ONE)の存在があったからだ。カルチャーを誰よりも愛する大先輩が「カルチャーを知る人材がスポーツにも関わらないといけない」との使命から日本ダンススポーツ連盟ブレイクダンス部部長に就任して奔走する姿に感銘。「私も挑戦しよう」と決意を固めた。

 従来は「出たい大会に出る」のが業界の常識だったが、五輪出場権獲得には予選レースに出ることが不可欠。重圧のかかる大会が続き「プレッシャーに耐えられず、ダンスがつまらなくなった」と落ち込んだ。ベスト16で敗退した昨年9月世界選手権後は本気で引退も考えたが、石川さんら周囲の支えもあり踏みとどまった。気持ちを切り替えて臨んだ5、6月の五輪予選シリーズで1位となりパリ切符を獲得。重圧から解放され「五輪を全力で楽しみたい。勝ち負けがすべてじゃないが、たくさん踊れるように目の前の相手を全力で倒したい。コンコルド広場を盛り上げたい」と意気込んでいた。

 快挙を達成した後は「準決勝で決勝にやる予定のムーブをやっていて、決勝は楽しもうと。相手はNICKAだったし一緒のチームでもあるので、思い切っていこうと思ってやりました。あんまりまだ実感できていない。本当なら泣きたいくらいうれしいが、実感できていなくてフワフワです」と喜びを語った。 
(引用終わり)
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