昨日朝TVでNHKの朝ドラを見ていたら戦後の混乱期に「尊属殺人を認めるかとの最高裁の評決をする場が出ました。13対2で認める」事となりました。
偶然ですが旧旧優生保護法(1948~96年)下での強制不妊手術被害を巡り:
【原告全面勝訴を言い渡した最高裁大法廷判決。16歳で手術を受けた飯塚淳子さん(70代、活動名)ら宮城県の原告たちは喜びをにじませるとともに、「被害者に直接謝罪してほしい。差別のない社会になってほしい」と国に訴えた。判決は、1・2審とも不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」を理由に訴えは棄却された。最高裁で審理された5件の高裁判決のうち、4件は原告勝訴だったが、宮城の訴訟だけが敗訴していたが心配は杞憂(きゆう)でした。「除斥期間」を適用せず、国に賠償を命じた 】と画期的な判決となりました。原告の方々の戦いと世の中の考え方が変わってきたことを感じさせます。訴訟に加わっていない被害者も考慮すると関係者の救済はこれからの方が大変かもしれません。
写真:最高裁判決で全面勝訴したことを受け「勝訴」を掲げる原告(ネットより)
毎日新聞:
ようやく長い闘いが報われた――。旧優生保護法(1948~96年)下での強制不妊手術被害を巡り、原告全面勝訴を言い渡した最高裁大法廷判決。16歳で手術を受けた飯塚淳子さん(70代、活動名)ら宮城県の原告たちは喜びをにじませるとともに、「被害者に直接謝罪してほしい。差別のない社会になってほしい」と国に訴えた。
「原判決を破棄する」。戸倉三郎裁判長が主文を読み上げた瞬間、会場の空気が沸き立った。閉廷の宣告とともに、原告席に座っていた飯塚さんは、新里宏二弁護団長と握手を交わし、ねぎらい合った。
16歳で理由を告げられず手術を受けた飯塚さん。旧法改正後の97年から支援団体とともに救済を求める活動を行ってきたが、国は「当時は適法だった」と責任を認めなかった。県が記録を廃棄していたため、提訴もできなかった。
知的障害を理由に15歳で手術を受けた佐藤由美さん(60代、仮名)が2018年1月に仙台地裁に初の国賠訴訟を提起。その後、県が手術を認めたことから飯塚さんも同年5月に提訴し、2人の審理は併合された。
だが、1・2審とも不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」を理由に訴えは棄却された。最高裁で審理された5件の高裁判決のうち、4件は原告勝訴だったが、宮城の訴訟だけが敗訴していた。原告団の間にも「宮城だけ負ける場合もあるのではないか」と不安がよぎった。
だが杞憂(きゆう)だった。、1・2審とも不法行為から20年で損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」を理由に訴えは棄却された。最高裁で審理された5件の高裁判決のうち、4件は原告勝訴だったが、宮城の訴訟だけが敗訴していた。。閉廷後の報告集会で、新里弁護団長は「被害者の声が社会を変えた。素晴らしい闘いだった」と飯塚さんたちをたたえた。
提訴から6年あまり、由美さんに代わり、被害を訴える活動をしてきた義姉の路子さん(60代、仮名)は「これまでの負けがあったからこそ、今回の素晴らしい判決があったと思う」と振り返った。
飯塚さんは「毎日長い間、苦しみながらここまで来ました。今日は最高の日です」と喜びを口にし、今回の判決を踏まえ「声を上げていない被害者は名乗りを上げ、国からの謝罪と補償を受けてほしい」と呼びかけた。【遠藤大志】
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