落語家の三遊亭円楽さん死去=「薮入り」など人情話を得意に(時事通信) - goo ニュース
落語家の三遊亭円楽師匠(76)が肺がんで逝去されました。謹んでお悔やみを申し上げます。 合掌
元気な頃は「笑点」の司会を務め自己紹介で「星の王子様」なんて称して笑いを取っていました。
数年前(05年10月)脳梗塞を患い治療に専念されたと思いますが翌年「笑点」の司会を「歌丸師匠」に譲りメンバーから勇退されたと思います。
その後リハビリに取り組まれ落語の方は人情話「芝浜」を演ずるべく努力をされていたようです。
2007年2月「国立劇場」で「芝浜」を見事語り切りました。
しかし本人は話の出来に納得しなかった様で楽屋に下がって引退を表明しました。
マスコミや仲間内は「良く頑張った」と好意的でしたが「この出来では」と自分に厳しく結論を下したのは立派な事でなかなか出来ない話と感心したのを覚えています。
その時にも引き合いに出されていましたが8代目桂文楽師匠が高座でセリフにつまり「台詞を忘れてしまいました」「勉強をし直してまいります」と謝罪しそのまま高座から下がり「二度と舞台に上がらなかった」との話を思い出しました。
爺が若い頃の話ですが文楽師匠は80に近い70才台ではなかったか。
仕事は落語と言いながらお二方の「芸の見切りの凄さ」を思い出しました。
園楽気師匠は「三遊亭楽太郎」師匠に6代目を襲名させる事を決めていましたから
大往生ですね。
あれこれ大変な闘病生活であったようですが安らかにお眠りください。 合掌
時事通信:
人情話を得意とした落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名吉河寛海=よしかわ・ひろうみ)さんが29日午前8時15分、肺がんのため東京都内の自宅で死去した。76歳だった。東京都出身。葬儀は近親者と一門のみで行い、後日お別れの会を開く。喪主は妻和子(かずこ)さん。
(引用終わり)
落語家の三遊亭円楽師匠(76)が肺がんで逝去されました。謹んでお悔やみを申し上げます。 合掌
元気な頃は「笑点」の司会を務め自己紹介で「星の王子様」なんて称して笑いを取っていました。
数年前(05年10月)脳梗塞を患い治療に専念されたと思いますが翌年「笑点」の司会を「歌丸師匠」に譲りメンバーから勇退されたと思います。
その後リハビリに取り組まれ落語の方は人情話「芝浜」を演ずるべく努力をされていたようです。
2007年2月「国立劇場」で「芝浜」を見事語り切りました。
しかし本人は話の出来に納得しなかった様で楽屋に下がって引退を表明しました。
マスコミや仲間内は「良く頑張った」と好意的でしたが「この出来では」と自分に厳しく結論を下したのは立派な事でなかなか出来ない話と感心したのを覚えています。
その時にも引き合いに出されていましたが8代目桂文楽師匠が高座でセリフにつまり「台詞を忘れてしまいました」「勉強をし直してまいります」と謝罪しそのまま高座から下がり「二度と舞台に上がらなかった」との話を思い出しました。
爺が若い頃の話ですが文楽師匠は80に近い70才台ではなかったか。
仕事は落語と言いながらお二方の「芸の見切りの凄さ」を思い出しました。
園楽気師匠は「三遊亭楽太郎」師匠に6代目を襲名させる事を決めていましたから
大往生ですね。
あれこれ大変な闘病生活であったようですが安らかにお眠りください。 合掌
時事通信:
人情話を得意とした落語家の三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名吉河寛海=よしかわ・ひろうみ)さんが29日午前8時15分、肺がんのため東京都内の自宅で死去した。76歳だった。東京都出身。葬儀は近親者と一門のみで行い、後日お別れの会を開く。喪主は妻和子(かずこ)さん。
(引用終わり)