風薫る五月。皐月も半ばを過ぎ、早い所では田植えも終わり、新緑もその色を益々深くしているところ。皐月は耕作を意味する古語「さ」から稲作の月として「さつき」となったという。「皐」には「神にささげる稲」という意味合いもあるという。
一方、五月は月初に連休があり(今年は10連休)、また母の日は毎年第二日曜日であることから、半ばを過ぎると生活の面ではやや落ち着く傾向にある。私見だが、自動車税の納期も近く、経済的(私の働く食品流通業)には売り上げの伸びにくい時期だ。
陽気も良く、かねてから約束していた釣りに出かけることにした。場所は行田市北河原の大池。昨年秋初めてニジマス釣りを経験し、今度は更に広い場所で釣りをしてみたいとの希望があった。先述した通り、大切なのは好奇心と行動力だと思い、釣り竿も用意し午前から出かけてみた。大池のことは以前たまたま近くの十二所神社を参拝した折、こうした自然の池が地元の有志によって釣り堀として整備されていることを知った次第。どことなく神の御導きを感じてしまう。
大池は古くに福川が決壊し、自然に沼となったところ、その底流が川とつながっていることから今日まで干上がることなくその姿を留めているという。福川の決壊地点には昔稲荷神社があり、「きりっと稲荷」(切所稲荷)と呼ばれている。現在は十二所神社に合祀されているようだ。
水辺には鴨が遊び、福川の向こう利根川河川敷にはグライダーが飛び、とても静かで眺望も素晴らしい。こんな環境で半日釣りをして過ごせるとは以前では考えられなかった。始めて1時間、我慢の甲斐あって一度だけ針にかかった魚の感触を味わうことができた。但しその後は経験不足から一匹も吊り上げることなく終わってしまった。
用意したたも網も活躍することなく終わってしまったが、水辺に座り浮きを見つめ、風の音を聞きながら過ごす時間は、日常とは別の記憶にのこるものになった。
非日常とは複雑で特別誰かが用意してくれるものではなく、身近にありながら、自分の思いで踏み出す一歩のことだと感じる。
「こうしたい、やってみたい、見てみたい」という気持ちをこれからも行動することで実現してほしいと思う。