皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

おみくじで占うのは何か

2022-01-26 20:27:09 | 神社と歴史

老若男女を問わず親しまれるおみくじ。神社仏閣でもっとも手にするもののひとつだろう。御札や御守りは遠慮しても、おみくじを引いて帰られる参拝者は多い。ただしその起源は運勢ではなく、神の意思を問う祭具として用いられていたという。
古墳時代以前には鹿の肩甲骨を焼きその割れ具合(ひびの入いりかた)で吉凶を判断する『太占』(=ふとまに)、鹿の骨を亀の甲羅に変えた『亀卜』(きぼく)といった占いがあったという。これは神の託せんを得ようと時の統治者が編み出した術だと考えられる。遡れば邪馬台国の卑弥呼は壱与の占術統治といったところにたどり着くのだろうか。
初期の御神籤には『短籍』(たんざく)といった紙片に事柄を書いて折り畳み、神に祈りを捧げてから一枚を選んだともいう。この短籍は『日本書』に見られ斉明天皇の御代、有間皇子が皇位継承をめぐって謀反を企てたがその如何を占うのに用いられたと記されている。

やがて御神籤は物事の当落や勝負事を選定する手段として用いられるようになって行く。時には重要な人選に用いられている。
『増鏡』によれば仁治二年(1241年)時の四条天皇が崩御された際、鎌倉幕府の執権北条泰時(義時の長男)は鶴岡八幡宮で籤をひいて次の天皇を定めたという。また足利六代将軍義教(よしのり)は石清水八幡宮のくじ引きで選らばれた「くじ将軍」として知られている。

おみくじの語源についてその形態から「串」という説と揉め事を公正に判断する「公事」ともいう。
これらはくじには人の力を越えた意思が働くと考えられていたためであり、物事を決めることに神の意思が働いているという正当性を持たせる意味合いがある。
本能寺の変を起こした明智光秀は、「神の意向」という大義名分を得るため、京都の愛宕神社で大吉が出るまでくじを引き続けたとも言われている。
おみくじが一般的に庶民の手に取られるようになったのは、鎌倉時代以降の事で。比叡山延暦寺の高僧・元三大師が「観音みくじ」」を考案したことによる。それは105種類の漢詩によって吉凶を占うもので「元三大師百籤」と呼ばれる。
やがて江戸期になり家康の側近天海大僧正が観音籤を改良し、運勢が記された紙に番号をつけ1から100までの連番が振られた棒を一本ひいて数字を照らし合わせる方式を確立したという。
なお伊勢神宮には籤はないという。
「一生に一度は伊勢参り」そういわれるほど神宮は尊いと崇められ、お参りすること自体が大吉であると考えられていたそうだ。
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