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皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

戦艦「三笠」②~当時の世界状況をよむ

2019-10-08 22:32:04 | 史跡をめぐり

 18世紀後半の産業革命以降、商工業が急速に発展し安い原料を確保するとともに大量に生産した製品を輸出する市場を求めて、欧米諸国は次々とアフリカ、アジア方面に進出するようになった。また科学技術の進歩に伴い軍事兵器が発達したことにより、欧米諸国は産業の振興に遭わせて強力な軍事力を保持し「列強」と呼ばれる世界の強国として知られていくようになる。列強に対抗する力を持たないアフリカ、アジア、アラブ諸国は強大なこれらの国々の前に服従するしかなく、次々とその支配下に入れられてしまう。

 19世紀になると英、仏、蘭などの列強の国々は東南アジアにその矛先を向け、ベトナム、カンボジア、インドネシアなどを支配するとともに、アヘン戦争に敗れた清国から租借地を獲得する。またロシアは義和団の乱に乗じて満州を占拠し、朝鮮半島にも手を伸ばし南方への領土拡大を企てる。

 一方日本国は朝鮮の自主、自立を目指す独立派を援助し、自国の属国と主張する清国との対立を迎えていた。日清戦争の開戦である。列強各国は清国有利との見方を有していたが、日本が勝利し、下関において日清講和条約が締結され、台湾、遼東半島の割譲、賠償金の支払いが決定する。しかし露、独、仏の三国は遼東半島を日本が領有することは、東洋の平和に有害であると主張し、清国に返還するよう強硬に主張するここになった(三国干渉)。

 軍事力で対抗できない日本はこれに従うことしかできず、旅順、大連など地形的要所を含む遼東半島を返還し、「臥薪嘗胆」を合言葉に国力の増進と軍事の増強をはかることとなった。

 ロシアは三国干渉後、政治、経済、軍事のすべての面で朝鮮に対する影響力を強め、着実に支配地域の拡大を図っていった。

時の山本権兵衛軍務局長(のちに総理大臣)は海軍大臣西郷従道(隆盛の弟)を補佐し人事の刷新に着手し、海軍が国防の要であることを主張しながら、海軍拡張計画を軌道に乗せていった。その傑出した功績から「海軍の父」と称される。

 日露関係が険悪化し、一触即発の情勢に陥ると、明治三十六年(1903)海軍第一、第二艦隊を以て連合艦隊が編成される。

日露戦争開戦直前、先任序列を無視して舞鶴鎮守府長官であった東郷平八郎中将を連合艦隊司令長官に抜擢している。この英断が日本の勝利につながったといわれている。

兵力は戦艦6隻、一等巡洋艦6隻を主力とし、二等三等巡洋艦12隻、駆逐艦、水雷艇などを加え、総排水量233,200トンであったという。これに対しロシア太平洋艦隊は戦艦7隻巡洋艦7隻を主力とし、砲艦、駆逐艦等を加え総排水量191,000トン。

 ロシアの軍事的脅威が目前に迫り日露、日英いずれかと条約を結ぶべきとの国論が割れる中で、政府は、「日本の独立を保ち国益を守るには英国と同盟を結ぶべき」との主張を採用した。明治35年(1902)に日英同盟締結の際の外務大臣は小村寿太郎であった。

 

 

 

 


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