東照宮と言えばまず日光を思い浮かべる人が多いようですが、全国には多くの東照宮が祀られています。全国東照宮連合会もあるそうです。(知りませんでした)昨年今年と2年続けてNHK大河ドラマでも、徳川家康が登場し、重要な役割を果たしています。昨年は内野聖陽、今年は阿部サダヲが熱演しています。
行田市民大学歴史文化研究班の自主研究の一環として、群馬県太田市の世良田東照宮に参拝することができました。班のメンバーの方が三つ葉葵会にも在籍され、宮司様とご縁があったことから、境内でのご案内までいただくことができました。
寛永二十一年(1644)三代将軍徳川家光は、この世良田の地が徳川家の祖先の地ということから、日光東照宮の奥宮を移築し、家康公を祀ったといわれています。以降幕府の手厚い保護のもとこの地は文化的にも繁栄し、「お江戸見たけりゃ世良田へござれ」と謡われたといいます。
ご祭神は徳川家康公。東照大権現とは東から照らす朝日のような神との意味。宮司様の講和の中で、天皇家以外で宮のつく神社は菅原道真公を祀った天満宮と東照宮のみだそうです。
徳川家の先祖、徳川義季は、新田壮の下司職に任命された新田義重からこの地(世良田等六郷)を譲り受けたとされます。義季は鎌倉幕府に出仕しつつ世良田郷を開拓。のちに臨済宗の創始者栄西の弟子栄朝を招き「長楽寺」を開きました。宮司様の話の中でこの長楽寺と東照宮との力関係があり、神社は格下に見られた歴史があるそうです。義季の次男、頼氏は世良田を姓として名乗り三河守として将軍家につかえますが、晩年は佐渡へ流罪となります。
その後南北朝時代を経て、九代目に当たるのが家康公になります。
宝物殿にはこうした徳川家の系図が詳しく展示されています。また宮司様ご本人がこうした研究を独自にされているようでした。特に徳川将軍になってからも七代家継は幼名を「世良田鍋松君」と名乗っています。六代家宣にの子は次々と亡くなってしまい、直系の家継がわずか4歳で将軍となります。
そこで長寿を願って鍋の字を用い、世良田の姓を名乗ったそうです。
行田市との縁はこの石灯篭です。忍藩主阿部忠秋が奉納しています。そのほかにも重要文化財に指定されている大鉄灯篭などがあります。児玉の鋳物師中林仲次が鋳造しています。
本殿も重要文化財に指定され、左甚五郎作とされる巣籠の鷹などを見ることができます。文化財保持のご苦労もされているとのことでした。
10数年前、太田地区を営業で廻っていました。こうしたお宮に興味が向かなかったことに恥ずかしさをおぼえます。「御成敗式目」にある言葉です。「神は人の敬によりて威を増し、人は神の徳によりて運を添ふ」人とのご縁によりこうした神社にお参り出来たことを幸せに感じた一日でした。
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