加須市多聞寺の地名はその昔この地に多聞寺と称する寺があったことから名づけられたが、寺そのものは天正年間の大水により流されて今は存在しない。当地の南側は会の川が流れ、北は低湿地で葦が生えるような土地柄であるという。
社記によれば天正の末に古利根川が決壊し村中が濁流に押し流されて荒廃した。文禄年中上新郷川俣を塞ぎ、村内を開墾したという。その折愛宕山と称する古塚に愛宕神社を勧請して祀った。当初は修験藤本坊なるものが別当を務めたが退去し、寛文九年(1670)観音寺の僧専順が寺を立て別当となったという。以降明治維新まで真言宗浄雲寺の支配下にあった。御祭神は火具土命。
愛宕神社といえば火防の神としての信仰が厚いが、当地においては耳の病を治す神として信仰される。村の子供が水遊びなどで耳垂れを患うと、神社に奉納されている錐(きり)を一本借りて祈祷をし、家の戻って錐で耳を掘る真似をすると治ったという。治ると錐を一本新しく買って借りてきたきりと一緒に神社に奉納する。床下には何百という錐が薪の様に積み上げられているという。
夏祭りに奉納される獅子舞はしの無形文化財となっている。「雌獅子隠し」「笹ぬき」「綱切り」の三演目で笹むきで使用された笹は、馬が腹を壊さぬように祈念してから馬に与えたという。
古くからの稲作区域であり、嵐除けや榛名講などが続けられているという。二百十日の嵐除けでは稲の無事を祈り、氏子がうどんを打って会食するという。加須は熊谷と並んで小麦とうどんの町である。
本殿前に並ぶ末社で西向きに稲荷社、東向きに御嶽様が向かい合っ入る。御嶽様を西風よけ、お稲荷様を穀物神として正中左に祀っているように見える。二社が向きあって鎮座するのはあまり見ない様式だが、意味合いもあるのだろう。
寺社持ちの神社には身体健康、病気平癒といった信仰、特に目、耳、歯といった五感に纏わる部位を治すといわれる信仰が多いように感じる。
医者替わりに地域に根付いて信仰を広げてきたのだろう。医者のいない時代、痛みや五感の疾患を治すために祈願することは多かったことと推察される。藁おもすがる思いで人々は神に願い、祈り、生き抜いてきたことだろう。寺も神社も人々の願いを聞き届けるところであり、身体に関する悩みを神仏の前でつまびらかににし、治るよう祈ることは現代でも続く信仰のようだ。
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