浮き城通りと称される旧国道125線。行田市役所前信号交差点に昔ながらの時計店が建っている。
眼鏡・時計・宝石との看板があるが、現在では時計の電池交換や修理を専門にしている。
「平川時計店」
創業は昭和8年。現在の御主人で2代目だそうだ。満州事変の翌年、日本が戦争へと突き進んだ時代。この地で貴金属関連の商売を始めたのころの苦労はいかほどのものだったのだろう。
子供のころ、家の居間の壁には振り子時計が掛かっていた。いつのころか外し、裏の物置へ置いたきり行方知れずになったまま。どうして大事に残しておかなかったのだろう。今思えば若いころ時間そのもの価値に気づかなかったのだと思う。歴史の重さにももちろん触れることもなかった。ただ未来は永遠のように感じていたのかもしれない。 この歳になってようやく自分の未来はそうは長くないと思うようになった。もちろん身体の具合が悪いだとか、将来を悲観するといったものではなく、確実に自分に残された時間が、これまで生きてきた時間よりも短いことを実感できるようになっただけだろう。
御主人とは自分の子供が幼稚園に上がった時からのお付き合いだ。私も卒園した幼稚園の送迎バスの運転手をされていた。もう十二年も前になる。下の子が卒園すると同時に、バスの運転手も引退されて、お店の仕事に専念されている。
八十代を目前に控えてなお、手先や眼も変わらず、
修理の仕事をこなすという。
いつも電池を替えてもらう時計はもう二十年以上使っているもの。スマートフォン全盛の時代。時計をする人も少なくなったというが、どうしても習慣で仕事の時は腕時計をしないと落ち着かない。
替えてもらっている間、自分の子供たちのこと、平川さんの同世代の人の話など、話題に事欠かない。
行田市消防団第三分団長を引退して十年以上経つが、現在でも消防関係者とのお付き合いも続くという。平川さんのような人によってこの町はずっと支えられてきたのだと思う。
時間、人、浮き城の町
大切にしてきた職人の手により、直してもらった時計。
これからも大事にしていきたいと思っている。
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