若い頃、野に咲く花を見てもさほど心和らぐことはなかった。いつも遠い未来ばかり夢見ていた。刹那的に今を生き、不都合なことは未来への宿題へと置き換えていた。いつからだろう、今日という日の積み重ねが、変えようのない自分の一度きりの人生ということに何となく気づいたのは。
母方の祖父が亡くなったのは大学三年次の夏の終わり。苦労の多かった母の支えとなっていた、優しい祖父であったと思う。幼い頃、多くの孫に囲まれながら、どの子にも分け隔てなく接する人だった。九十を過ぎて介護を受けながらも、母の顔を見ると喜んでいた。当時地元を離れていた私が祖父の亡くなったのを知らされた時、遠く離れた高原の牧場で住み込みで働いていた。
葬儀で戻った際、なくなるかなり前から多くの記憶をなくしていたということを聞いたが、それでも祖父の魂は母や家族を慕い続け、残された人たちのことを思い続けていたことを知った。
人の記憶はその人の身体の一部のように、時と共にその姿を消してしまうものだ。それでも魂は慕い続け、受け継がれていく。祖父がなくなって三十年近くたった今、私がこうしてブログに記していることがその証しだと思う。私の思いもきっと大切な人の心のなかに慕い続け、受け継がれていくと思っている。
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