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皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

弘法大師と立岩伝説~奇勝橋杭岩

2019-04-16 22:25:24 | 史跡をめぐり

和歌山県串本町は本州最南端の町としてしられ、潮岬など雄大な海の風景に出会える町として人気の観光地となっている。

串本駅から5分ほどの海辺には弘法大師伝説が残る名勝橋杭岩がある。国道42号沿い海岸から対岸の大島にむかって大小40余りの岩が整然と並んで立っている。干潮時にはその中ほどまで渡れるという。

地質学では1500万年前の地質活動で泥岩層の間に流紋岩が流れ込んだものというが、後に浸食により柔らかい泥岩部が早く浸食され、硬い岩が杭状に形成されたものだという。

この奇妙な岩の列に弘法大師にまつわる伝説が残っている。

昔々弘法大師と天邪鬼が熊野を旅していたところ、大師の偉大さに押されていた天邪鬼は、我こそは一番の智慧者だと思い込み何とかして大師の鼻をあかしたいと考え、妙案を思いつく。

「弘法さん、大島は御覧の通り海中の離れ島で、天気が荒れると串本との交通の便が絶え島の人は大変困るというのですが、ここはひとつ大島と陸との間に橋を架けようではありませんか」

弘法大師は「それは良い、それは良い」と早速賛成しました。

天邪鬼は「「二人いっぺんに仕事するのも面白くない。一晩に時を限って橋の架け比べをしましょう」と言い出します。

いかに弘法大師でもまさか一晩で橋を架けてしまうとは出来まい。今にきっと鼻をあかしてやれるぞと天邪鬼は内心喜んでいました。

いよいよ日が暮れて大師が橋を架けることになると、山から何万貫もあるともわからない巨石を担いできてひょいと海中に立てていきます。しばらくすると海中には橋杭がずらりと並びました。

天邪鬼はこの様を見て「大変だこの調子でいくと夜明け前には立派な橋が出来上がってしまう」と困り果て邪魔立てする手立てを考案しました。

「こけっこっこー」と大声で鶏の鳴きまねをすると大師は「もう夜が明けるのか」と自分の耳を疑うと、やはり天邪鬼は「こけっこっこー」

と鶏の鳴き声を繰返します。夜明けと勘違いした大師は橋を架けるのを途中で止めてしまったといいます。

こうして串本の浜の先には大きな岩が並び立ち、列岩の起点には弘法大師の小子が祀られているといいます。、

先述しましたが弘法大師にまつわる伝説は数多い。その数三千とも五千とともいう。誰がどう広めたのか。それは高野聖と呼ばれる諸国をめぐる祈祷の僧が、空海亡き後荒廃した高野山を守るため空海を神格化し浄財を集めたものと言われています。浄土信仰として念仏を唱えるだけで浄土に行けると庶民に広まり、僧たちは井戸を掘るなど各地で救済をして回ったのです。そこで大師の杖で突いたところに井戸が湧くといった伝説が生まれ、各地に伝わったとされます。

今に生きる私たちはついその伝説や景色に心奪われがちですが、本当に大切なのはそうした話を伝える人がいたことであり、弘法大師がそうした人々を育てていたことなのでしょう。

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