加須市川口の神明社は古利根川である中川右岸に沿って鎮座する。鎌倉期には奥州道が通り、その渡し場として有名であったという。古くから開けた村で、鷲宮神社の神鏡の銘に「武州太田庄鷲宮大明神、施主河口郷内藤五郎敬白、文安二年五月四日」とある(1445年)
風土記稿にも「天照皇大神宮」とあり、文政三年の社号額も残っている。御祭神は大日女貴命で天照大御神の美称である。
農家の多い氏子には「大神宮様」と呼ばれ親しまれたという。祭事に七月一日の悪疫除け行事があり、騎西の玉敷神社が獅子を借り受け区内を廻る。道中「モッテエネエ、モッテエネエ」と叫びながら走るという。獅子舞には土地ごとの特色が良く伝わる事例である。
昭和二十二年カスリーン台風で被害を受けた際に建てられた「水害復旧竣功記念碑」が残っており、当時氏子全戸で経費、労力の面で奉仕し、早期に復旧に努めたことが刻まれている。
社殿外からからはわからないが、伊勢の神宮に倣い本殿には内宮と外宮がそれぞれ並んで祀られているという。
本殿東側には稲荷社があり、氏子区内の屋敷神はほとんどが稲荷様だという。初午に赤飯スミツカレを供える風習は北武蔵一帯に多く見られる。
社殿裏には地区集会所があり、区域の中心としての機能があるのだろう。
少し離れた区内岡前の洗磯社を合祀しており、鷲宮神社の人形流しの場として知られている。
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