皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

十万石幔頭と甲斐姫

2017-09-25 20:58:21 | 食べることは生きること
 
 行田名物と言えばB級グルメゼリーフライ、郷土料理フライなどがありますが、行田発祥でかつ埼玉銘菓と称えられるのが「十万石饅頭」です。
市街地にある本店の蔵は文化財に指定もされていますが、私はいつも水城公園店で買い物をします。今日は中日を過ぎましたが、鴻巣の親戚に彼岸参りの土産としてよらせてもらいました。

来月スタートのTBS日曜劇場「陸王」のパッケージの5個入り饅頭があり思わず買ってしまいました。ドラマもとても楽しみにしています。

中身の刻印に陸王の字が入っています。娘は2個食べていました。

 十万石のHPには饅頭のこだわりの歴史が紹介されています。
昭和20年太平洋戦争終戦後まもなく砂糖の統制が解かれ、行田の地に十万石饅頭は生まれました。ところで、砂糖は貴重な物資として、戦争前から流通統制が敷かれていました。現在でも解除後の特約店制度の名残があり、流通経路は大手商社を頂点とした旧態依然とした仕組みが残っているようです。通常仕入れから支払いまでほかの食品問屋であれば60日前後の猶予がありますが、砂糖に関しては極端に短い期間で支払期日が来てしまいます。実は以前砂糖の問屋に勤めていたことがあり、営業社員としてはたらいていました。十万石にも砂糖を届けたことがあります。(担当ではありませんが)


十万石饅頭の箱や袋に使われている絵です。戦後の名匠、棟方志功の絵だそうです。実は饅頭を食べているのは忍城主成田氏長の娘、甲斐姫が描かれています。
 昭和28年世界的板画家、棟方志功はまだ世間に認められていなかったころでした。氏と親交を深めていた行田市の書道家渥美大童氏の紹介で棟方氏の作品に触れた社長が「これからの菓子屋は先生のこの人間味あふれる暖かさ、そしてバイタリティーが必要だ」と開眼。
 早速、十万石まんじゅうを抱えて、尋ね「是非この饅頭を食べてみてください」と差し出したそうです。無類の甘党だった棟方氏は「あんたが作ったのかい」と一口食べ、一気に5個も召し上がったといいます。6個目の饅頭に手を伸ばしながら、
「うまい、行田名物にしておくにはうますぎる」
といい、直ちに絵筆をとりました。忍城の姫が生きていればきっと同じことを言ったに違いないと、かの絵を描いたといわれています。
ところが、十万石幔頭と書いたそうです。
社長がすかさず「幔は食片の饅です」と指摘すると
「このまんじゅうが全国に広く知れわたることを願ってこの字(幔)にした」と答えたそうです。

「私は私でなければ描けない絵を描く、あんたはあんたにしか作れない美味しい菓子を作りなさい」と続けたそうです。
十万石にとって棟方氏の絵は菓子作りの原点となり、その絵を使い続けることが、氏との約束した、十万石にしか作れない美味しさを届ける心の証だそうです。

歴史を知ることでものの見方、見え方は変わります。十数年前、こうした物語に気づかなかったことが残念であると共に、今日こうして知ることができた運命を感じます。

自分にしかできない仕事、生き方を求め積み重ねていくこと、それがそれぞれ与えられた使命なのではないかと思います。
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 乃木のお菓子となつめの木 | トップ | 正直は一生の宝 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

食べることは生きること」カテゴリの最新記事