
加須市戸川は明治期の地租改正を機に寺ケ谷戸村と広川村が合併してできたという。「風土記稿」によれば寺ケ谷戸村の鎮守は愛宕社で、広川村の鎮守は弁天社。両村合併後もそれぞれ別々に祭が行われていたところ、明治四十二年弁天社は愛宕社合祀され社名を村名に合わせ戸川神社と改めている。この時村人たちは「弁天様が愛宕様に嫁に行った」と喜んだという。


昔獅子廻しに使用したとされる鞍が残っていて、口碑によれば村の悪魔祓いが終わり神社参道に着くと、悪魔が入ってこないよう馬から降り、社殿に向かい全力で疾走したという。


現在、参道の先には東北自動車道が走るが、境内地周辺は風光明媚な水田が広がっている。


加須市内でも利根川岸から離れているように感じるが、境内社には宝暦の水難で困窮した村人を救った領主の功績を称える明和四年に建立した「相州宮」が残っている。まさに地域の暮らしや歴史を写す鏡のような神社で、境内地裏の貯水池には夕暮れの光が反射していた。
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