加須市の北側を流れる利根川は江戸初期の治水工事により、北流して渡良瀬川に合流する合の川と、大利根町境を南流する古利根川とに分流されやがて現在本流となっている新川通りの開削によって渡良瀬川と合流することになった。この地域自他が坂東太郎と称される利根川との闘いを背負ってきたことを物語っている。
当地は江戸期から対岸の飯積との間を結ぶ渡船場で、日光街道と中山道を結ぶ脇街道としての要路に当たっていた。明治八年までは下大越村と称し、米麦と養蚕が盛んであった。しかも利根川を眼前にしながら堤防が決壊することなく下流には砂山と呼ばれる河畔砂丘があることから水害による被害が出ることはなかったという。その反面干損に悩む土地柄で、雨乞をした歴史が残っている。その原型が現在無形民俗文化財として指定されている「大越三耕地の獅子舞」である。古くは「明神様のササラ」と呼び利根川の流れでササラを舞ったという。
元文四年(1740)「獅子舞伝書」には北川辺領飯積村若山重兵衛から下大越村利崎耕地の荒木与治右衛門に平井祐作流の獅子舞が伝授されたことが記されている。氏子の五穀豊穣と無病息災を願い始められたとされ毎年七月七日、十四日、十五日に行われているものである。氏子は長男が十六になると必ず送り出し、厄払いの意味で獅子を摩って舞の稽古をさせたという。
(大杉大明神、風神水神=末社)
鷲神社の御祭神は天穂日命(あめのほひのみこと)と武夷鳥命(たけひなとりのみこと)。加須市の中心地には千方神社が祀られていて総鎮守であるが、大越村には利根川流域に多く見られる鷲宮神社が勧請されている。浮島明神と称する鷲宮神社は関東最古の出雲族が祀られる神社で、周辺地域へ信仰が非常に強く残る。獅子舞に関してもその源流は鷲宮にあるのだろう。
神社前には埼玉用水が流れ利根川水系の恵みを東方へと運ぶ。前にかかる橋は神明橋である。
利根川側に位置しながら昔から水不足に悩み雨乞が行われた歴史は非常に興味深い。また大越渡し(船着場)あたりは水深も浅く川の中に注連縄を張って雨乞のササラを舞ったという。信心深い氏子は忌服(ぶく)があると一年間は獅子に近づこうともしなかったそうだ。
川の恵みと雨乞。水に生かされ水を請うた歴史。神社が伝える歴史に今の私たちの暮らしが学ぶべきことは多い。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます