戦国時代の永正年間(1504~1520年)成田氏は忍城を築くまで皿尾に居住していたとされています。地形的に皿尾村は忍沼、忍川に接するため、地下水位が高く長い間排水に苦労したとされています。私が小学生の頃、台風の際には、皿尾橋周辺ではよく水が溢れることがありました。他方皮肉なことに、用水不足にも苦しんだようです。これは灌漑排水の整備が遅れていた時代の特徴です。行田市では治水灌漑工事の一環として、明治34年(1901年)20基の煉瓦水門が建設され、その先駆けとなったのが皿尾の土地です。現在も三ヵ所に残っていて、高太寺北側にあるのが松原堰です。戦後酪農や共同作業による生活改善の取り組みをしたことで、知られるようになったとされます。ほぼ全域田植えも終わり、当たり一面緑の世界が広がります。
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