皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

生駒神社例大祭

2022-08-20 21:18:48 | 神社と歴史

皿尾村には谷郷地区との間に「駒形」という地区があり、明治維新に成るまで駒形村として村社を有していた。それが「生駒神社」であって合祀政策によって久伊豆大雷神社に合祀されたが、地区の反発があって社殿が戻された歴史がある。今でも登記上は久伊豆神社末社という位置づけとなっているが歴史の上では久伊豆社と同等かそれより長い歴史を有している。

律令期においては流通の整備に馬の生産が奨励され、放馬の土地が早くから開けたことが「延喜式」等に記されている。武蔵国に四牧が開かれ、上質の馬が生産されたことがわかっている。

ここ行田には「駒形」と言う地名が二つ残っていて(持田と皿尾)、牧場地が広がっていたことをうかがわせる。
皿尾村の生駒明神と呼ばれる神社は古くからこの地に祀られ、清水雪翁の「北武八志」にはつぎのような記述が残っている。
「皿尾村にあり、又駒形明神といふ。昔鎌倉のとき、梶原景時検地としてこの辺りを巡回し、馬を留めて休憩せし処なりと。接する隣村谷郷村は東鑑に鶴岡八幡宮武蔵国寄腑状のこと見へたればこれ等のこと証拠なしとて棄つべきにもあらず」

忍城で栄える前の時代のはなしであり、市内の「忍沼」と呼ばれる湿地帯の側にある平原地帯はまさしく馬を放つところに適していたものと考えられる。

現在戦前からつづくわずか八件の家々でこの生駒神社を守っており、年に一度お盆明けに例祭の祝詞をあげている。

よもや今年大河ドラマで梶原景時の活躍を目にすることとなり、長い時代を越えて坂東の後家人と対面できた気持ちで今日の例大祭を終えることとなった。
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第三十九候 蒙霧升降

2022-08-20 20:36:17 | 生活

日中の残暑は厳しいものの、早朝の水辺や田んぼでは少しひんやりとした空気が漂います。「蒙霧」とはもうもうと立ち込める霧のことで、霧自体が空気中の水蒸気が急にひやされてできるものといわれます。

北海道の摩周湖や釧路、また軽井沢など濃い霧で有名な場所も多くあるようです。古くから霧の立ち込める様子を「霧の帳」などと形容し、立ち上るような霧はお香の煙にたとえて「霧の香」とも称します。お盆明けの天気が安定しないのは例年のことで、秋のおだやかな気候を迎えるのはもうしばらく先になりそうです。

この時季旬を迎える果物が無花果。「花がない果実」と思われていたからこうした漢字が当たると言います。無花果の歴史は古く六千年前頃から栽培されていたといい、旧約聖書に登場するアダムとイブは無花果のを腰ミノにつけたと記されています。
写真の無花果はご近所にいただいたものです。
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十二節気 大暑

2022-08-03 22:35:17 | 生活

梅雨明け十日前後となる一年でもっとも暑さの厳しい時季。今年は六月の梅雨明け宣言ということで季節感が少しずれてしまった感があるが梅雨の戻りもあって、実際の梅雨明けは七月二十二日前後だったのだろう。
陰陽五行説では、春は木、夏は火、秋は金、冬は水。そして季節の間が「土」。つまり年に四回「土用」をもうけている。季節の変わり目に体調が優れないことはこうした古くからの慣習でわかっていること。現在では土用と言えば夏から秋へと移り変わるの土用の期間で、それだけ暑さの厳しい身体も疲れやすいじきに当たる。
夏の土用は立秋前の十八日間のことでこの間の丑の日が 「土用の丑の日 」と呼ばれ鰻など「う」のつくものを食べたり 「丑湯 」という薬湯に入ったりする習慣がある。
今年の土用丑の日は実は二回あり、七月二十三日と八月四日に当たる。

暑さの表現も様々で、過度の暑さを「酷暑」、燃えるような暑さを「炎暑 」暑さの盛りを「極暑」などという。地面から立ち上る熱気を「陽炎 」。様々な呼称で暑さを伝えながら、季節はいつしか秋へと歩を進める。
緑色の蜜柑の実が夏の盛りを伝えているようでもうしばらく真っ青な夏空とのコントラストを目に焼き付ける季節。
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