昨夜のライブについて、大変困った事があったので自身の備忘録として。
まず、昨日に至るまでの事実関係を記す。
・2018年8月某日
2ヶ月に一度出演しているライブのレギュラーメンバー(仮名A)から、
「今度のライブに、ボランティア活動家(仮名B)と一緒に出る。その時に、ほしちゃんのメンバーにバックでセッション(即興演奏)してもらえないだろうか?」と相談。
メンバーと協議の結果、総意として断わりを入れる。
・2018年11月某日
再びAから、同様の相談。
再びメンバーと協議し、総意として再度断わりを入れる。
理由は
「練習もなしにその場の雰囲気でやるセッションは遊びだが、活動家のステージは遊びではない。よって我々が共演するのは失礼」
という見解。
・今年5月初旬
昨夜の出演メンバー計6組が、主催者から発表される。
その時は、メンバーの名前のみで素性は分からず。
・昨夜
出演メンバー中の実に半分の3組が、志を同じくするボランティア活動家である事が判明。
1人目はハーモニカ片手に登壇するも演奏の前に10分近く演説を続け、「1人では淋しいから」と仲間数名をステージへ導く。
導かれたメンバーは、頭にストッキングをかぶってハーモニカに合わせて変な踊りを披露し、失笑を買っていた。
2人目はギター弾き語りで、自らの病気についてのオリジナル曲を披露していたが、真摯に音楽をやっていた。
3人目(仮名B)が登場の際、Aは何の前振りもなしに即興で私とそのメンバーをステージに上げ、昨年二度にわたって断わっていたBの歌唱の伴奏をさせた。
Bは歌の途中で募金箱を持って客席に降り、客に募金を求めて回った。
以上が、昨夜の事実経過である。
端的に言うと、ボランティアをやるのは自由だ。
しかし昨夜は、ボランティアを「やらない自由」がなかったのが問題だったのだ。
昨日のあの場の活動というのは、一切拒否が出来ない。
募金ひとつ取ってみても、会場の後ろに募金箱を置いておいて
「皆さんの善意をお願いします」
とやるのと、昨夜のように仮名Bが募金をお願いしてまわるのとでは、全く異なる。
あのような密室で活動家が沢山居るなかで活動家が募金箱を持ってきて、誰が面と向かって募金を拒否出来るだろうか?
同じように、仮名Aが
「誰か、仮名Bさんのバックで演奏していただける人はいませんか?」
とお願いして、自然発生的にバンドが組まれるのはその人の自由意志なのでよい。
しかしライブも終盤で盛り上がって、次がBのステージというタイミングで
しかも活動家が沢山いるなかで、断ろうものなら何を言われるか、わかったものではない。
客にしてみれば、単純に音楽を聴きに来ただけなのに募金を迫られ、断ろうものなら
「この病気に悩む人を、見殺しにする気か!」
という調子で来られた日には、二度とそのようなライブには足を運ばないだろう。
誤解を恐れずに言えば、ボランティアのライブというのは資金集めの手段として音楽を利用している図式だ。
すなわちそこに出演する人や楽曲、歌や演奏のクオリティは問われない。
客もそれを理解したうえで集まっている。
いい音楽を聴きに来るのが、普通のライブだ。
ボランティアのライブは、いい音楽である必要はない。
せっかく忙しいなか、時間を作って良質の音楽を聴きにわざわざ来てくれた人が
「募金を集める事に意義のある、クオリティ二の次の音楽」
を聴かされたうえに、財布からカネを搾り取られた時の落胆は、想像に難くない。
何をやるのも自由であるべきだが、
「募金しない自由」
「演奏しない自由」
もまた保証されるべきである…