人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戦(そよ)ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。
人生を幸福にする為には?――しかし瑣事を愛するものは瑣事の為に苦しまなければならぬ。庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁を破ったであろう。が、古池を飛び出した蛙は百年の愁を与えたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享楽の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我我も微妙に楽しむ為には、やはり又微妙に苦しまなければならぬ。
人生を幸福にする為には、日常の瑣事に苦しまなければならぬ。雲の光り、竹の戦(そよ)ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。
【出典】芥川龍之介『侏儒の言葉』(『芥川龍之介全集7』、ちくま文庫、1989、所収)
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人生を幸福にする為には?――しかし瑣事を愛するものは瑣事の為に苦しまなければならぬ。庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁を破ったであろう。が、古池を飛び出した蛙は百年の愁を与えたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享楽の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我我も微妙に楽しむ為には、やはり又微妙に苦しまなければならぬ。
人生を幸福にする為には、日常の瑣事に苦しまなければならぬ。雲の光り、竹の戦(そよ)ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。
【出典】芥川龍之介『侏儒の言葉』(『芥川龍之介全集7』、ちくま文庫、1989、所収)
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「われわれの祖先」三部作(本書のほか『まっぷたつの子爵』『木のぼり男爵』)の掉尾。
時代は中世、フランスは大帝シャルルマーニュの御代である。
不在の騎士アジルールフォは、まさにその名のとおり、傍目にはヨロイ・カブトしか見えない騎士なのだ。目庇をあげれば、冑のなかみは空洞、「虹色の羽根飾りを頂いたその真っ白い甲冑のなかには、誰も入っていなかった」
意志と聖なる大義への信念によってのみ存在するのであった。まるで思想が鎧兜を具しているイメージである。
このイメージ、SFXの発達した現代の映画ファンなら、さほど難解ではあるまい。寺沢武一の漫画『コブラ』に登場しそうなキャラクターだ。
さて、くだんの不在の騎士、口腹の欲はなく、睡眠をとらない。査察すれば手抜きしないできちょうめんに摘発するから、同僚の騎士や従卒たちから煙たがられる。
ために、騎士の資格に疑義が出され、身の証をたてるためにシャルルマーニュの軍勢から抜け出して遍歴に旅立つ。
他の騎士たちは冷淡に見送るばかり。
捨てる神あれば拾う神あり。神、すなわちブラダマンテである。廉直にして剛毅な不在の騎士アジルールフォこそ真の騎士、と慕う男装の麗人である。
ブラダマンテがアジルールフォを追い、ブラダマンテを恋する若き騎士ランバルドがおっかけ、アジルールフォの騎士資格に係る疑義をぶつけたトリスモンドがひそかに追跡する・・・・。
甲冑だけの騎士という奇抜な設定、語り手と主要登場人物の手のこんだ関係、冒険小説風にしてミステリー風の謎解き、要するに複雑な幻想小説だ。
抜群の面白さと併せて、哲学的考察の材料をわんさと提供する。
『死霊』を書いた埴谷雄高が読んだら、喜んだにちがいない。思想を肉体を与えれば不在の騎士になるからだ。いや、この場合はヨロイ・カブトだが、この甲冑、何の象徴だろうかと思いめぐらせるのも愉しい。
□イタロ・カルヴィーノ(米川良夫訳)『不在の騎士』(国書刊行会、1989。後に河出文庫、2005)
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時代は中世、フランスは大帝シャルルマーニュの御代である。
不在の騎士アジルールフォは、まさにその名のとおり、傍目にはヨロイ・カブトしか見えない騎士なのだ。目庇をあげれば、冑のなかみは空洞、「虹色の羽根飾りを頂いたその真っ白い甲冑のなかには、誰も入っていなかった」
意志と聖なる大義への信念によってのみ存在するのであった。まるで思想が鎧兜を具しているイメージである。
このイメージ、SFXの発達した現代の映画ファンなら、さほど難解ではあるまい。寺沢武一の漫画『コブラ』に登場しそうなキャラクターだ。
さて、くだんの不在の騎士、口腹の欲はなく、睡眠をとらない。査察すれば手抜きしないできちょうめんに摘発するから、同僚の騎士や従卒たちから煙たがられる。
ために、騎士の資格に疑義が出され、身の証をたてるためにシャルルマーニュの軍勢から抜け出して遍歴に旅立つ。
他の騎士たちは冷淡に見送るばかり。
捨てる神あれば拾う神あり。神、すなわちブラダマンテである。廉直にして剛毅な不在の騎士アジルールフォこそ真の騎士、と慕う男装の麗人である。
ブラダマンテがアジルールフォを追い、ブラダマンテを恋する若き騎士ランバルドがおっかけ、アジルールフォの騎士資格に係る疑義をぶつけたトリスモンドがひそかに追跡する・・・・。
甲冑だけの騎士という奇抜な設定、語り手と主要登場人物の手のこんだ関係、冒険小説風にしてミステリー風の謎解き、要するに複雑な幻想小説だ。
抜群の面白さと併せて、哲学的考察の材料をわんさと提供する。
『死霊』を書いた埴谷雄高が読んだら、喜んだにちがいない。思想を肉体を与えれば不在の騎士になるからだ。いや、この場合はヨロイ・カブトだが、この甲冑、何の象徴だろうかと思いめぐらせるのも愉しい。
□イタロ・カルヴィーノ(米川良夫訳)『不在の騎士』(国書刊行会、1989。後に河出文庫、2005)
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