700年間以上風雨にさらされつづけてきたゴシック様式建築の概観はうす汚れていたが、内部の暗い壮大な空間の高みにはヴィトロー(玻璃窓)が色鮮やかな光を発散していた。入口付近で老婆や若い夫婦が蝋燭をともし、蝋燭の光は河となって奥へつらなる。椅子にすわって頭をたれ、真剣に祈るあまたの人々。彼らは独りで絶対者と向かいあっているのだ。ノートルダムが落成した1245年以来、こうした情景が連綿とつづいいてきたはずだ。
暗い寺院のなかで、森有正のことを考えていた。
森有正は20年間、毎日のようにノートル・ダムを目にし、自分の思索を形成していったが、ついに完成しなかった。完成させるには、ノートル・ダムが建っていたのと同じだけの時間が必要だ、と感じていたのではないだろうか。
すくなくとも私は、そう感じていた。むろん、人の一生はノートル・ダムが建っていた時間を越えることはできない。したがって、フランスはもとよりヨーロッパをほんとうに理解することは、ついにできない・・・・。
『森有正エッセー集成』全5巻のなかで、わけても『遙かなノートル・ダム』には愛着がある。理由はごく単純だ。私が初めて森有正に接したのがこのエセーの一節だからだ。
話は、高校生時代にさかのぼる。ラジオの受験講座、現代国語のテキストに『遙かなノートル・ダム』からの引用があった。引用箇所はよく覚えていない。また、講師がどんな解説をしたかも記憶にない。だが、その透明で明晰な文章が強く印象に残ったのは確かである。学生になってから、すこしずつ森有正を読んでいった。
正直いって、いまもって森有正の思想はよくわからない。留学後の森は、まとまった著作を残さなかった。残されたのは、断片的なエセーばかりである。
森有正は、一見西欧文化に埋没したかにみえて、「蜂が蜜をたくわえるように」(リルケ)蓄積していったその思想を、初めて体系的に書こうとしたとき、突然の死によって中断させられた。遺著となった『経験と思想』(岩波書店、1977)がそれである。
「経験」は体験と区別される。感覚は体験を構成し、体験は加齢とともに機械的に増加する。体験は、反省をへて「経験」にいたる。言葉は、「経験」によって定義される。
森有正の中心概念を簡単にいえばこういうことだろう、と思う。
他方、『森有正エッセー集成3』に所収の『ルオーについて』で森有正はいう。
「朝は早く起き、夜は早く寝、一分間もぼんやり夢想なぞしない、極度に規則正しい、勤勉な生活」・・・・朝早く起きるあたりは、わが国のサラリーマンと同じようにみえるが、その後がだいぶちがう。森有正はさらに続ける。「その規律がひと人から強制されずに、またいわゆる勤倹節約の標語ともならずに、そうしないでは不安でいられない、内側からおのずと湧き出してくるリズムとなっている生活、ルオーの生活は、フランス人一般の生活のすこしも例外ではなく、その一つにすぎない」
そのフランス人一般の生活とは、要するに「衣食住の隅々まで、人に媚びるところの一切ない生活、実質的で落ち着きがあり、堅牢なその生活」である。
こうした堅固な日常性のうえに立ってルオーの創造があり、森有正のいわゆる「経験」があった。
21世紀の日本において、かかる堅牢な生活を維持できる人はそう多くないだろう。
【参考】森有正『遙かなノートル・ダム』((二宮正之編)『森有正エッセー集成3』、ちくま学芸文庫、1999、所収)
↓クリック、プリーズ。↓
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暗い寺院のなかで、森有正のことを考えていた。
森有正は20年間、毎日のようにノートル・ダムを目にし、自分の思索を形成していったが、ついに完成しなかった。完成させるには、ノートル・ダムが建っていたのと同じだけの時間が必要だ、と感じていたのではないだろうか。
すくなくとも私は、そう感じていた。むろん、人の一生はノートル・ダムが建っていた時間を越えることはできない。したがって、フランスはもとよりヨーロッパをほんとうに理解することは、ついにできない・・・・。
『森有正エッセー集成』全5巻のなかで、わけても『遙かなノートル・ダム』には愛着がある。理由はごく単純だ。私が初めて森有正に接したのがこのエセーの一節だからだ。
話は、高校生時代にさかのぼる。ラジオの受験講座、現代国語のテキストに『遙かなノートル・ダム』からの引用があった。引用箇所はよく覚えていない。また、講師がどんな解説をしたかも記憶にない。だが、その透明で明晰な文章が強く印象に残ったのは確かである。学生になってから、すこしずつ森有正を読んでいった。
正直いって、いまもって森有正の思想はよくわからない。留学後の森は、まとまった著作を残さなかった。残されたのは、断片的なエセーばかりである。
森有正は、一見西欧文化に埋没したかにみえて、「蜂が蜜をたくわえるように」(リルケ)蓄積していったその思想を、初めて体系的に書こうとしたとき、突然の死によって中断させられた。遺著となった『経験と思想』(岩波書店、1977)がそれである。
「経験」は体験と区別される。感覚は体験を構成し、体験は加齢とともに機械的に増加する。体験は、反省をへて「経験」にいたる。言葉は、「経験」によって定義される。
森有正の中心概念を簡単にいえばこういうことだろう、と思う。
他方、『森有正エッセー集成3』に所収の『ルオーについて』で森有正はいう。
「朝は早く起き、夜は早く寝、一分間もぼんやり夢想なぞしない、極度に規則正しい、勤勉な生活」・・・・朝早く起きるあたりは、わが国のサラリーマンと同じようにみえるが、その後がだいぶちがう。森有正はさらに続ける。「その規律がひと人から強制されずに、またいわゆる勤倹節約の標語ともならずに、そうしないでは不安でいられない、内側からおのずと湧き出してくるリズムとなっている生活、ルオーの生活は、フランス人一般の生活のすこしも例外ではなく、その一つにすぎない」
そのフランス人一般の生活とは、要するに「衣食住の隅々まで、人に媚びるところの一切ない生活、実質的で落ち着きがあり、堅牢なその生活」である。
こうした堅固な日常性のうえに立ってルオーの創造があり、森有正のいわゆる「経験」があった。
21世紀の日本において、かかる堅牢な生活を維持できる人はそう多くないだろう。
【参考】森有正『遙かなノートル・ダム』((二宮正之編)『森有正エッセー集成3』、ちくま学芸文庫、1999、所収)
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