語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

書評:『スイスのロビンソン』 ~おおらかで骨太なエネルギーに共感する時代、共感しない時代~

2010年06月12日 | 小説・戯曲
 嵐で船が座礁した。船員は退避したが、夫婦と4人の息子が置き去りになった。息子といっても16歳のフリッツを筆頭に14歳、12歳、10歳の少年たちである。嵐がおさまると、指呼の先に島が見えた。船から火薬や工具など多数の生活必需品を持ちだし、一家の新生活がはじまった。幸い、島には食糧が豊富で餓える心配はない。一家は孜々としてはたらき、島の豊かな自然も勤勉な労働にこたえてくれた。
 10年たった。フリッツはたくましい若者になった。
 とある日、一家と同じく難船した女性ジェニーの救助を乞う手紙を見つける。アホウドリの脚にゆわえつけられていたのだ。
 首尾よく助けだして戻ると、一家が漂着したと同じ湾に英国のヨットが嵐から逃れて停泊していた。フリッツと末子フランツはジェニーと共にヨーロッパへ渡ることになった。代わりに機械技師夫妻と二人の娘が残る。新スイス国の誕生であった・・・・。

 小学生時代、児童向きの世界文学全集で読み、とりこになった一冊。
 岩波文庫で復刊されたとき読み返したが、たしかに少年の心を魅惑するだけの理由がある。第一に、無人島に流れついた一家の子どもたちには学校がない。

 学校はなくても、ロビンソンやジュール・ヴェルヌ『十五少年漂流記』の少年たちと同じく、スイスのロビンソン一家もすこぶる勤勉に働き、実地で学ぶ。
 働けば、自分たちの生活が目にみえて改善される。労働の具体的かつ実感できる効果。この明快さも魅惑した理由だった。
 都会の営業職から田舎の有機栽培の農業に転身する現代日本人は、スイスのロビンソンの末裔である。

 『十五少年漂流記』といい、本書といい、集団生活を送る点でロビンソン・クルーソーと異なる。
 ロビンソンもフライデイを得て、最小限の集団を構成したが、フライデイは奴隷だった。『十五少年漂流記』にも奴隷的なアフリカ系移民の少年コックが登場し、現代人の平等感覚を傷つける。
 『スイスのロビンソン』には奴隷は登場しない。オーストリア・ハプスブルグ帝国の圧制をはねかえして独立したスイス人にふさわしい。

 作者ウィースは改革派の牧師だった。カルヴァニストだろう。この小説、万事つごうよく、予定調和的にストーリーが展開する。
 こうした楽天性や全編を貫くおおらかで骨太なエネルギーに共感する時代がある一方では、共感しない時代もある。

 スイスのロビンソンは、1960年代には宇宙に進出する。TV版『ロスト・イン・スペース(宇宙家族ロビンソン)』がそれである。この番組が人気を博した頃の合衆国の大衆には、おおらかで骨太なエネルギーが満ちていた、と思う。
 しかし、合衆国の大衆のエネルギーは1990年代には枯渇しつつあったらしい。1998年に製作の劇場版『ロスト・イン・スペース』は興行的に失敗する。未完のこの作品の続編は、ついに製作されなかった。

□ヨハン・ダーヴィッド・ウィース(宇多五郎訳)『スイスのロビンソン(上下)』(岩波文庫、1951)
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