語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【原発】米国の核の傘の下で脱・原発は可能か ~原発維持の側の論理~

2012年05月19日 | 震災・原発事故
 脱・原発(依存)を進める人は、その対極にある原発推進/維持の考え方を知っておく必要がある。
 ここでは、米国の核の傘との関係で、日本の原発を今より減少させつつも2割程度は維持すべきだ、とする意見を見る。

 戦後日本の原子力の歴史は、米国の原子力政策受容の歴史だった。
 1953年、アイゼンハワー大統領が国連演説で「原子力の平和利用」を宣言し、そのための国際管理機関の設置を提案した。これは、ソ連の核武装によって「核兵器の独占」が崩れ、しかもソ連および英国の原子力発電プロジェクトが先行していたことへの焦燥感がもたらした宣言だ。
 米国で「平和のための原子力」プロジェクトが動き出し、1955年には「原子力平和利用博覧会」が東京で37万人、全国で100万人以上を集めた。米国主導だったが、読売新聞が協賛、社主の正力松太郎の肝いりの企画だった。日本政界で原子力平和利用の推進役になったのは中曽根康弘・元首相だった。
 1957年に日米原子力研究協定調印、同年、原子力基本法制定、米国から20基の原子炉を購入する契約が交わされた。以後、日本は米国の期待どおりに、米原子力産業の市場の役割を果たしていく。
 戦後日本は、「軍事的には米国の核の傘」の下に生き、「民生用の原発においては米原子力産業の市場」として機能してきた。

 だから、福島原発事故の深刻化を受け、米国は首相官邸に「エネルギー省、NRC、海軍の原子力専門家など」を派遣、事故対応ため日米協議を繰り返した。水素爆発が続き、最も緊迫した3月下旬、米国の一部のメディアには軍事的に日本を再占領しても事態の収束を図るべしという「強制介入論」までが登場した。
 ところが、いつの間にかそうした議論は消えた。その後、米国側は沈黙し続けている。日本側も、GE社の原発製造者責任を含め米国側責任者を国会等に参考人として呼び説明を求めるでもなく、不可解な沈黙を続けている。メディアもそうした問題意識を提起することはない。何故か。
 米国は「原子力ルネッサンス」に動き出したのだ。今、2基を新設許可し、現有の103基を更新・リライセンスする方針だ。原子力の新設にとって逆風となりつつあるのは、北米産出量を拡大させている安価なシェールガスとの競合、フクシマ事故に伴う安全コストの増加、石炭火力における高効率のコンバインドガスタービン導入による相対的な原子力の競争力低下だ。
 日米の原子力における関係は、この6年間で劇的に変化した。米国が33年間も商業用原子炉をつくらなかった間隙を衝く形で、日本が世界の原子力産業の中核主体になってしまったのだ。日本が原子力産業の主役となり、「日米原子力共同体」とでもいうべき構造に浸っている。このことの自覚を欠いた議論は空虚だ。
 実は、米国のフクシマの推移に対する沈黙の背景には、「日米原子力共同体」構造が横たわっている。また、米国が原発新設に踏み込む前提にも、この構造が埋め込まれている。
 よって、日本人が「脱・原発」を議論するにも、被害者然とした受け身の姿勢ではなく、自らの生業を問う当事者責任意識が求められる。我々は、米国のエネルギー専門家の重い問いに、真剣に答えなければならない。すなわち、「米国の核の傘に守られながら、しかも日米原子力共同体に身を置きながら、日本は『脱・原発』を選択できると考えるのか?」

 ドイツはなぜ「脱・原発」に歩みだせたのか。
 (a)外交・安全保障面での努力の積み重ね・・・・冷戦期に核戦争への緊迫感に満ちていた体験を踏まえ、冷戦後、ドイツは冷戦型脅威を払拭する努力を重ねてきた。1993年には米軍基地の縮小と地位協定改定を実現、NATOの東方拡大やロシア政策を通じてロシアの脅威を極小化し、安全保障面での対米依存を相対化させてきた。また、EU統合への努力を続け、近隣諸国との相互信頼の醸成を迂氏手、エネルギー政策の選択幅の拡大に努めた。ドイツを取り巻く国境を超えた送電網により、電力供給不安が起きても相互融通が可能な体制ができあがった。
 (b)政治システムにおける地方分権・・・・徹底した地方分権の上に成り立つ連邦制のドイツでは、原発立地の合意形成が容易ではない。それが1990年代以降、1基も新設できなかったことに帰結している。
 (c)産業側の事情・・・・シーメンスは自社の技術力への自信もあり、技術的自立志向が強く、対米産業協力の軛に縛られることなく原子力に取り組んできた。2001年から仏・フラマトム(現・アレバ)との提携で次世代原子炉の共同開発と海外展開をめざしてきたが、受注が少なく、2009年には提携を解消して撤退した。自分の国に展開することのないプロジェクトを海外に売り込むことの限界を示した。

 エネルギー政策は、「国家の戦略意思」だ。それぞれの国が自らの置かれた状況を熟慮し、国民合意の下にいかなる選択も可能だ。日本としても、地政学的制約と積み上げてきたエネルギー政策を直視し、ぎりぎりのバランス感覚で的確な戦略を描きださねばならない。
 原子力政策に係る日本の選択肢は、次の3つ。
 (1)米国の核の傘の外に出て、「脱・原発」をめざす。 →現実に実現する可能性は低い。 
 (2)米国の核の傘に留まって、「脱・原発」を進める。 →さまざまな矛盾を生む。
 (3)核の傘を段階的に相対化し、そのため原子力の基盤技術を維持・蓄積する。
 原爆の登場からの歴史を再考しても分かるように、核と原発とはどこまでも表裏一体だ。だから、寺島実郎は、多くの「脱・原発」の論調に非武装中立論」にも通じる虚弱さを感じる。中東、米国、欧州、ロシアとエネルギーをめぐる厳しい国際的緊張を生身で目撃してきた者として、日本のような「技術を持った先進国」は、多様なエネルギー供給を確保するバランスのとれた「賢明なベストミックス」を志向すべきだ、と。日本の選択肢のうち(3)を選択し、「非核のための原子力」(平和利用)に徹し、日本の発言基盤を「技術力」に絞った上で、グローバル・ガバナンスに貢献することが賢明な選択だ、と寺島は考えるのだ。

 以上、寺島実郎「戦後日本と原子力 --今、重い選択の時 ~能力のレッスン第122回~」(「世界」2012年6月号)の「(1)核心の見えないAIJ事件報道」に拠る。
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