このたび、アメリカの俳句協会のお招きをいただきまして、皆さんの前でお話しできることを、大変光栄に、またうれしく存じます。
(中略)
家に時計なければ雪はとめどなし
(第一句集『雪礫』の)これは、戦争から幸い生きて還ることができましたが、戦後の日本のいちばん貧しい時代、苦しい時代の作品です。そういう時代に結婚し、子供も出来ました。関東の広い武蔵野の中の、小さなたった六畳一間の小屋で生活していました。家に時計がないということは大変貧乏な生活です。しかし当時をふりかえってみますと、貧乏ではあったけれど、決して心はプアーではなかったような気がします。時計がないことによって、時間は茫々として、限りなくのび、その時間のない世界を雪はとめどなくふる。限りなく降るわけです。
(中略)
従って(第二句集の)『花眼』の一つのテーマは、人間の生きている時間、それを表現してみたい、そういう気持ちで、
磧にて白桃むけば水過ぎゆく
あるいは、
綿雪やしづかに時間舞ひはじむ
雪嶺のひとたび暮れて顕はるる
などの作品も生まれたわけです。最後の句を説明致しますと、昼間見えていた雪嶺が、夕方になると、だんだん夕闇につつまれて、いったん闇の中に消えてしまいます。そして闇に沈んでいった雪嶺が、やがて、再び、星や月が出るころになると、昼間よりもっと荘厳な姿で、顕われてきます。その不思議な荘厳を詠った句です。
年過ぎてしばらく水尾のごときもの
日本では、除夜には、除夜の鐘というものが鳴ります。その除夜の鐘が鳴り終わったあと、新しい年を迎えながら、なお、過ぎ去った年が、心の中で尾をひいている。そういう静かな時間。新しい年を迎え、過ぎ去った年を顧る、その静かな時間を、自分の心の中で見つめている。これはそういう句です。
(中略)
白をもて一つ年とる浮鴎
(第三句集『浮鴎』の)これは、ニューヨークの鴎の半分ほどの大きさと思って下さい。一年の最後の日の夕暮、寒々とした広い海面の上に、白い鴎が、真白な姿で浮いているわけです。年の夜というのは、ゆく年くる年、そういう思いの中で、なにか人生のただようような、漂泊の思いがある時間だとおもいます。さてこの浮鴎も、このまっ白な姿で一つ年をとるのだろうか、という思いをこめた句です。
もう一つ、これと似たような句に、
浮寝していかなる白の浮鴎
という句も、わたしにはございます。
*
以上、「自作について」による。初出は、「俳句」昭和53年12月号。引用句はすべて森澄雄作。
以下は、榎本好宏「時間と含羞 -『花眼』の世界-」による。引用句はすべて森澄雄作。
『花眼』には、“時間”を主題にした作品が多い。“時間”を最初に言い出したのは川崎展宏だった。川崎は、「寒雷」昭和42年10月号掲載の「タエナルスの門」で「澄雄には時間が見えるのだ」と書いた。そして、「磧にて白桃むけば水過ぎゆく」の句について、「時間が見えるとは、生まれて生きて死ぬ人生の必然がよく見えるということだ。彼は、やはり『無常』を文学の生命(いのち)とした者達の伝統につながる詩人なのである」と続ける。
しかし、榎本は展宏説に「何か割り切れないものが残る」という。『花眼』の後幾冊もの句集を出し、さらにその“生”を先送りしながら新しい境地を開いている生身の澄雄と対比した時、『花眼』は意外なところで本来の姿を見せてくれるような気がする。「生まれて生きて死ぬ人生の必然」というアクティブなところではなく、驚きを作者が自分の内部に置くことによって顕現する影絵のようなもの、という気がする、と。「含羞」という温かいものの上に映じた影絵そのものである・・・・。
榎本はさらに、「めでたさと・・・・ -『四遠』の世界-」で澄雄の新しい“時間”を指摘する。
浮寝鳥見てをり春の日となりぬ
山茱萸やまばたくたびに花ふえて
つちかぜのいちにち吹けり蜆汁
蚕豆の飯のゆふぐれ待たるるよ
藤の花よく晴れたれば昼寝たり
病めれども幸さながらにさくらんぼ
目細むや鳥の渡りのはじまりぬ
臥して秋絹の音して畳掃く
をりをりはうつけに暮らし衣被
かへりみればひと日まちゐし栗の飯
薯掘つてをり色鳥の来てをりぬ
あたたかき日を賜ぶ師走半ばまで
「やや多く十二句を抽いたが、ここに私は、澄雄の新しい“時間”を読み取るのである。澄雄には“時間の書”の異名を持つ第二句集『花眼』がある。しかし、その『花眼』の時間が、澄雄の意思として、また知性として、こちらから積極的につかまえに行った時間感覚だったとすれば、『四遠』に見える時間は、水門を閉じることによって、少しずつ水嵩を増していくような時間、あるいは、自らの目の前を流れる時間を楽しむように把握する、言ってみれば“待ち”の時間を楽しんでいるような、そんな感覚が感じられる。/中でも、<蚕豆の飯のゆふぐれ待たるるよ><かへりみればひと日まちゐし栗の飯>のような、まさに“待ち”の豊かな時間に托する作品の傾向は、『四遠』の後の『所生』へと続くことになるのである。しかも、日常の中で、俳人と言わず日本人なら誰しも感ずる、極くありふれた題材の中から、これまた誰もが書き留めなかった“まこと”を掬い上げ、澄雄の“いのち”を吹き込んで、人の世の普遍に仕立て上げる、ここに澄雄の錬金術を見る思いがする」
【参考】森澄雄「自作について」(『めでたさの文学』、邑書林、1994、所収)
榎本好宏「時間と含羞 -『花眼』の世界-」(『森澄雄とともに』、花神社、1993、所収)
榎本好宏「めでたさと・・・・ -『四遠』の世界-」(前掲書所収)
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(中略)
家に時計なければ雪はとめどなし
(第一句集『雪礫』の)これは、戦争から幸い生きて還ることができましたが、戦後の日本のいちばん貧しい時代、苦しい時代の作品です。そういう時代に結婚し、子供も出来ました。関東の広い武蔵野の中の、小さなたった六畳一間の小屋で生活していました。家に時計がないということは大変貧乏な生活です。しかし当時をふりかえってみますと、貧乏ではあったけれど、決して心はプアーではなかったような気がします。時計がないことによって、時間は茫々として、限りなくのび、その時間のない世界を雪はとめどなくふる。限りなく降るわけです。
(中略)
従って(第二句集の)『花眼』の一つのテーマは、人間の生きている時間、それを表現してみたい、そういう気持ちで、
磧にて白桃むけば水過ぎゆく
あるいは、
綿雪やしづかに時間舞ひはじむ
雪嶺のひとたび暮れて顕はるる
などの作品も生まれたわけです。最後の句を説明致しますと、昼間見えていた雪嶺が、夕方になると、だんだん夕闇につつまれて、いったん闇の中に消えてしまいます。そして闇に沈んでいった雪嶺が、やがて、再び、星や月が出るころになると、昼間よりもっと荘厳な姿で、顕われてきます。その不思議な荘厳を詠った句です。
年過ぎてしばらく水尾のごときもの
日本では、除夜には、除夜の鐘というものが鳴ります。その除夜の鐘が鳴り終わったあと、新しい年を迎えながら、なお、過ぎ去った年が、心の中で尾をひいている。そういう静かな時間。新しい年を迎え、過ぎ去った年を顧る、その静かな時間を、自分の心の中で見つめている。これはそういう句です。
(中略)
白をもて一つ年とる浮鴎
(第三句集『浮鴎』の)これは、ニューヨークの鴎の半分ほどの大きさと思って下さい。一年の最後の日の夕暮、寒々とした広い海面の上に、白い鴎が、真白な姿で浮いているわけです。年の夜というのは、ゆく年くる年、そういう思いの中で、なにか人生のただようような、漂泊の思いがある時間だとおもいます。さてこの浮鴎も、このまっ白な姿で一つ年をとるのだろうか、という思いをこめた句です。
もう一つ、これと似たような句に、
浮寝していかなる白の浮鴎
という句も、わたしにはございます。
*
以上、「自作について」による。初出は、「俳句」昭和53年12月号。引用句はすべて森澄雄作。
以下は、榎本好宏「時間と含羞 -『花眼』の世界-」による。引用句はすべて森澄雄作。
『花眼』には、“時間”を主題にした作品が多い。“時間”を最初に言い出したのは川崎展宏だった。川崎は、「寒雷」昭和42年10月号掲載の「タエナルスの門」で「澄雄には時間が見えるのだ」と書いた。そして、「磧にて白桃むけば水過ぎゆく」の句について、「時間が見えるとは、生まれて生きて死ぬ人生の必然がよく見えるということだ。彼は、やはり『無常』を文学の生命(いのち)とした者達の伝統につながる詩人なのである」と続ける。
しかし、榎本は展宏説に「何か割り切れないものが残る」という。『花眼』の後幾冊もの句集を出し、さらにその“生”を先送りしながら新しい境地を開いている生身の澄雄と対比した時、『花眼』は意外なところで本来の姿を見せてくれるような気がする。「生まれて生きて死ぬ人生の必然」というアクティブなところではなく、驚きを作者が自分の内部に置くことによって顕現する影絵のようなもの、という気がする、と。「含羞」という温かいものの上に映じた影絵そのものである・・・・。
榎本はさらに、「めでたさと・・・・ -『四遠』の世界-」で澄雄の新しい“時間”を指摘する。
浮寝鳥見てをり春の日となりぬ
山茱萸やまばたくたびに花ふえて
つちかぜのいちにち吹けり蜆汁
蚕豆の飯のゆふぐれ待たるるよ
藤の花よく晴れたれば昼寝たり
病めれども幸さながらにさくらんぼ
目細むや鳥の渡りのはじまりぬ
臥して秋絹の音して畳掃く
をりをりはうつけに暮らし衣被
かへりみればひと日まちゐし栗の飯
薯掘つてをり色鳥の来てをりぬ
あたたかき日を賜ぶ師走半ばまで
「やや多く十二句を抽いたが、ここに私は、澄雄の新しい“時間”を読み取るのである。澄雄には“時間の書”の異名を持つ第二句集『花眼』がある。しかし、その『花眼』の時間が、澄雄の意思として、また知性として、こちらから積極的につかまえに行った時間感覚だったとすれば、『四遠』に見える時間は、水門を閉じることによって、少しずつ水嵩を増していくような時間、あるいは、自らの目の前を流れる時間を楽しむように把握する、言ってみれば“待ち”の時間を楽しんでいるような、そんな感覚が感じられる。/中でも、<蚕豆の飯のゆふぐれ待たるるよ><かへりみればひと日まちゐし栗の飯>のような、まさに“待ち”の豊かな時間に托する作品の傾向は、『四遠』の後の『所生』へと続くことになるのである。しかも、日常の中で、俳人と言わず日本人なら誰しも感ずる、極くありふれた題材の中から、これまた誰もが書き留めなかった“まこと”を掬い上げ、澄雄の“いのち”を吹き込んで、人の世の普遍に仕立て上げる、ここに澄雄の錬金術を見る思いがする」
【参考】森澄雄「自作について」(『めでたさの文学』、邑書林、1994、所収)
榎本好宏「時間と含羞 -『花眼』の世界-」(『森澄雄とともに』、花神社、1993、所収)
榎本好宏「めでたさと・・・・ -『四遠』の世界-」(前掲書所収)
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