(1)権力は世の中をうごかすが、権力が常に世の中を変えるわけではない。
むしろ、権力からもっとも遠い者が世に変化をもたらすこともある。
たとえば、言語改革。
(2)西欧社会をみると、共通語をつくる作業、あるいは言葉を洗練してコミュニケーションの手段を改良していこうとする努力は、民間から始まった。
たとえば、社交サロンが盛んだった17、18世紀のフランスで、ランブイユ侯爵夫人がたいへん立派なサロンをつくった。ランブイユ侯爵夫人の言語改革は非常に意識的で、下品な言葉、古い表現、田舎くさい言葉、専門用語、新造語を排除した。
女という政治社会の権力構造では弱い立場にあるものが、文化的権威によって言葉を洗練させた。モリエールやコルネイユも参加して、そのサロンで語られる言葉によって芝居を書いた。
ラファイエット夫人も、サロンの言葉によって『クレーヴの奥方』を書いた。
文学そのものが、社交的な会話である。フランスの詩の始まりは、挨拶であった。機会の詩である。機会詩が内面化して近代の自立した詩となった。
(3)日本の王朝でも、サロンの主人は女だった。政治的権力から遠い存在だった女が主人になって、虚構にせよ平等性が成立しているところに社交は生まれた。
ただ、日本では不幸なことに、共通語は書き言葉しかなかった。室町時代には、一種の社交的サロンが成立して、話し言葉の統一の芽生えはあった。お茶の会、連歌の会、庶民にとっての狂言である。
□丸谷才一・山崎正和『日本語の21世紀のために』(文春新書、2002)
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