筑摩書房の「ちくま」にせよ、岩波書店の「図書」にせよ、本屋の店頭でタダで入手できる。だから気軽に読み捨てられる・・・・かというと、そうでもない。再読したい記事があるからだ。PDFファイルに変換して保存する手間をかけるほどでもないが、しばらくは残しておきたい。その「しばらく」が1年になると、さすがに処分せざるをえない。
Dr. Etesan E. Nishibori すなわち西堀栄三郎のように、必要なページをベリッと破りさるもの一手だが、それはそれで後の検索が面倒だ。さわりだけ記録しておこう。
ということで、昨日および一昨日、「ちくま」の一部をとりあげた。
今日は、「図書」から2件引く。
*
経済学者のロナルド・ドーアは、社会科学者の自分が加藤周一と話が合うのは、彼が優れた社会科学者のセンスをもっていたからだ、と回想する。
----------------(引用開始)----------------
経済学の分野で、唯一の善は効率で、効率達成の方法として競争しかないという世の新古典派経済学者の価値体系には、加藤さんは常に反対してきたが、経済のからくりの技術的分野には、さほど興味がなかった。しかし社会学者としての加藤さんは、多くの職業的な社会学者に欠けている特長を持っていた。「差別」とか、「いじめ」とか、「晩婚化」とか、他人の行動を説明するのに、その他人の主観的動機を推定する手がかりとして、自分自身の過去の主観的経験のさめた客観的分析を利用してあたるという接近方法がその特徴だった。そして、「似たような心理」という概念を利用して、たとえば、いじめられた子が、クラスで一番強い子供と友達になろうとするのと、日本の対米外交との類似性を指摘したりする。ヴェーバーやデュルケムやフーコーの理論との整合性には、後で気がついてコメントするかもしれないが、しかし多くの職業的社会学者のように抽象論を出発点としなかった。
「似たような心理」「似たようなメカニズム」「似たような形容」を認識することは、結局「比喩」を駆使する文学的能力につながる。加藤さんは、社会学者であり、同時に文学者でもあった。美術評論家、小説家、劇作家でもあった。加藤さんの『日本文学史序説』は大変な力作で、社会科学者が楽しく読める文学史だ。
----------------(引用終了)----------------
そして、加藤は「何ごとにおいても、ことの真髄まで討究する精神において、プラトンの優れた子孫だった」と、ドーアは結論する。
*
話は変わるが、復本一郎によれば、正岡子規は病牀にあって激しく中江兆民に反発した。
病気の境涯に処するに、病気を楽しまねば生きていて何の面白みもない。旦夕にせまった有限の時間に向かい合うとき、「あきらめ」は「理」によるが、楽しみは「美」を解することによってのみ手中に収め得る、云々。
しかし、兆民も病気を楽しまなかったわけではない。余命1年半、善く養生して2年、と宣告された兆民は、その感慨を次のように記す。
「一年半、諸君は短捉{短期間}なりと曰はん、余は極て悠久なりと曰ふ。若し短と曰はんと欲せば、十年も短なり、五十年も短なり、百年も短なり。夫れ生時限り有りて死後限り無し。限り有るを以て限り無きに比す、短には非ざる也。始より無き也。若し為す有りて且つ楽むに於ては、一年半是れ優に利用するに足らずや」
兆民の楽しみは、シンプルだ。
「余の目下の楽みは、新聞を読む事と、一年有半を記する事と、喫食する事との三なり」
病牀の子規もまた、「美」のみならず、喫食も楽しみとした。彼の旺盛な食欲は、晩年の手記にも明らかである。
兆民は、子規がいうほど彼に遠い存在ではなかった。
そしてこの二人の明治人は、迫りくる死に対して実に剛毅である点でも共通する。
【参考】ロナルド・ドーア「プラトンの優れた子孫 加藤周一」(「図書」2010年1月号、岩波書店、所収)
復本一郎「『一年有半』 -私註『病牀六尺』(一)-」(「図書」2010年8月号、岩波書店、所収)
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Dr. Etesan E. Nishibori すなわち西堀栄三郎のように、必要なページをベリッと破りさるもの一手だが、それはそれで後の検索が面倒だ。さわりだけ記録しておこう。
ということで、昨日および一昨日、「ちくま」の一部をとりあげた。
今日は、「図書」から2件引く。
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経済学者のロナルド・ドーアは、社会科学者の自分が加藤周一と話が合うのは、彼が優れた社会科学者のセンスをもっていたからだ、と回想する。
----------------(引用開始)----------------
経済学の分野で、唯一の善は効率で、効率達成の方法として競争しかないという世の新古典派経済学者の価値体系には、加藤さんは常に反対してきたが、経済のからくりの技術的分野には、さほど興味がなかった。しかし社会学者としての加藤さんは、多くの職業的な社会学者に欠けている特長を持っていた。「差別」とか、「いじめ」とか、「晩婚化」とか、他人の行動を説明するのに、その他人の主観的動機を推定する手がかりとして、自分自身の過去の主観的経験のさめた客観的分析を利用してあたるという接近方法がその特徴だった。そして、「似たような心理」という概念を利用して、たとえば、いじめられた子が、クラスで一番強い子供と友達になろうとするのと、日本の対米外交との類似性を指摘したりする。ヴェーバーやデュルケムやフーコーの理論との整合性には、後で気がついてコメントするかもしれないが、しかし多くの職業的社会学者のように抽象論を出発点としなかった。
「似たような心理」「似たようなメカニズム」「似たような形容」を認識することは、結局「比喩」を駆使する文学的能力につながる。加藤さんは、社会学者であり、同時に文学者でもあった。美術評論家、小説家、劇作家でもあった。加藤さんの『日本文学史序説』は大変な力作で、社会科学者が楽しく読める文学史だ。
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そして、加藤は「何ごとにおいても、ことの真髄まで討究する精神において、プラトンの優れた子孫だった」と、ドーアは結論する。
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話は変わるが、復本一郎によれば、正岡子規は病牀にあって激しく中江兆民に反発した。
病気の境涯に処するに、病気を楽しまねば生きていて何の面白みもない。旦夕にせまった有限の時間に向かい合うとき、「あきらめ」は「理」によるが、楽しみは「美」を解することによってのみ手中に収め得る、云々。
しかし、兆民も病気を楽しまなかったわけではない。余命1年半、善く養生して2年、と宣告された兆民は、その感慨を次のように記す。
「一年半、諸君は短捉{短期間}なりと曰はん、余は極て悠久なりと曰ふ。若し短と曰はんと欲せば、十年も短なり、五十年も短なり、百年も短なり。夫れ生時限り有りて死後限り無し。限り有るを以て限り無きに比す、短には非ざる也。始より無き也。若し為す有りて且つ楽むに於ては、一年半是れ優に利用するに足らずや」
兆民の楽しみは、シンプルだ。
「余の目下の楽みは、新聞を読む事と、一年有半を記する事と、喫食する事との三なり」
病牀の子規もまた、「美」のみならず、喫食も楽しみとした。彼の旺盛な食欲は、晩年の手記にも明らかである。
兆民は、子規がいうほど彼に遠い存在ではなかった。
そしてこの二人の明治人は、迫りくる死に対して実に剛毅である点でも共通する。
【参考】ロナルド・ドーア「プラトンの優れた子孫 加藤周一」(「図書」2010年1月号、岩波書店、所収)
復本一郎「『一年有半』 -私註『病牀六尺』(一)-」(「図書」2010年8月号、岩波書店、所収)
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