語られる言葉の河へ

2010年1月29日開設
大岡昇平、佐藤優、読書

【書評】『三匹のおっさん』『三匹のおっさん ふたたび』

2012年05月02日 | 小説・戯曲
    

 この黄金週間の前半、一読してもっとも愉快だったのが、この2冊だ。
 建設業の会社を定年退職し、系列会社に嘱託(短時間労働)として入った清田清一が中心人物。彼と二世代同居の家族、そして彼と同年配で幼なじみの立花重雄(自営する居酒屋を早めに息子に譲った)、有村則夫(小さな町工場の経営者)とその家族が主な登場人物だ。
 清田は、その父から譲り受けた剣道場の師範でもある。ただし、定年と前後してすべての弟子が去った。立花は柔道で鍛えた猛者だ。有村は荒事は得意でないが、頭がまわり、仲間の参謀役だ。
 「三匹」のおじーさん、もとい、おじさんが屈託して町内の警護役をかってでる。そして、事件が起こる。
 要するに、「三匹のおっさん」の和気藹々が横軸、それぞれの家族の交情や葛藤が縦軸、地域に発生する事件が三次元目の軸となる立体的な構成だ。各冊とも6話ずつ、小さな波乱が起きる。

 本書の特徴の第一、時間的余裕ができて、まだ健康な団塊世代の生き方の一類型を描く。仕事より家庭、友人、地域への志向だ。人口20万人の小さな地方都市という舞台設定がこれを生かす。

 第二、家族は皆同質というわけではないが、孤立した島々でもない。その微妙な関係が、時に特定の一人に焦点を当てた話の中で、くっきりと浮かびあがる。例えば、父子2人の世帯なるがゆえに、主婦の役割を恬淡と務め、遠からぬ日にやってくる父の介護も覚悟して、自分の未来を限定している早苗(有村則夫の娘)。ただでさえ心が揺らぎがちな受験期に、父に再婚の話が持ちこまれ、受容と反発の矛盾した気持ちに苦しむ。

 第三、友人は居酒屋で情念を共有するだけでなく、情報の交換もあれば、助け合いもある。しかも、放火魔出没の報にボランティア的夜回りをする、といった事業さえある。共同事業があって、しかもその成果が現れれば、やりがい=居がいは堅固なものとなる。居がいとは生きがいのことだ。「三匹」の生きがいは、多々益々充実する。

 第四、地域社会の狭い人間関係において生まれる良質な相互扶助を掬い出している。例えば、馴染みの本屋が万引きに悩まされていると聞けば、押しかけガードマンとなる。しかも、万引きする小学生たちを直接制裁するのではなく、警察に突き出すのでもなく、店主と芝居がかった雑談を交わし、万引きボーイたちの聞耳を立てさせることで、目的を果たすのだ。店主の狙いは、犯罪の検挙ではなく、防止だ。だから、中学生たちを「三匹」が取り押さえたときも、彼らをバイト雇用し、僅かのカネを稼ぐためにいかに膨大な労力を費やすかを体験させるのだ。

 第五、タイトルからして意外に思われるかもしれないが、正統的といえば正統的にすぎる青春小説だ。清田清一の孫、祐希は高校3年生。髪を染め、チャラチャラした友人たちとチャラチャラした遊びを重ね、言葉遣いは荒く、最終学年になっても進路が曖昧な浮ついた若者だが、バイトはきっちり勤め、世間知もなかなかだし、筋の通ったところもある。夜道で暴行される寸前、「三匹」の手を借りて救った早苗(有村則夫の娘)と「青い山脈」のような付き合いを深めていく。

 第六、世代が異なる複数の女性にも焦点を当て、現代女性の百態が浮かびあがる。早苗については第二で書いた。その早苗の同級生、富永潤子は、父の転勤に伴って転校が多いのだが、さればこそ発生する同級生との付き合いの難しさが描かれる。あるいは、お嬢さん育ちでパートの仕事になかなか適応できず、人間関係に悩むが、その中で成長する貴子(清田清一の子の健児の妻)。そして、小学校時代の同級生に愛の告白をされ、グラッとなる登美子(立花重雄の妻)。

 以上、要するに、老若男女のいずれも、寝ころんで読めるし、結末は爽やかだから、読後安眠できる小説が本書だ。

□有川浩『三匹のおっさん』(文春文庫、2012)
□有川浩『三匹のおっさん ふたたび』(文藝春秋、2012)
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【原発】除染を妨げる経済学 ~「費用対効果」~

2012年05月01日 | 震災・原発事故
(1)コストの論理
 食品は全部検査すべきだが、政府はなかなかやらない。検査にハネられたものは全部買い取らねばならず、それが嫌なのだ。
 食品の暫定基準にしても、なぜ米と牛肉が同じ500Bq/kgだったのか。ウクライナやベラルーシの基準は、主食のパンは20~40Bq/kg。日本の暫定基準の10分の1以下だ。毎日食べる米なのに、1年間も暫定基準で済ませてきた。
 ようやく食品の安全基準が100Bq/kg(乳幼児50Bq/kg)に落ちたが、放射線審議会は乳幼児の50Bq/kgは低すぎる、と緩和を要求している。基準を上回ったものは補償しなければならないから、補償額を抑えたいのではないか。
 それに気づかされたのは、二本松市のゴルフ場の放射性物質除去と損害賠償を請求した訴訟だ【注】。東京電力は、放射性物質は「無主物」だ、と答弁した。、彼らの神経を疑った。こんなことをやっていたら、本当に電力会社への不信が募って、原発政策もストップするだけなのに、いったい何を考えているのか。
 が、これが「費用」「効果」を第一義に置く経済学のロジックからみれば、結論の一つとも言える。そう考えると、彼らの行動原理がはっきりわかるようになった。
 (a)今除染するより自然減衰で減るのを待ち、それから除染したほうが安上がりだ。が、その間にたくさんの放射能を浴びる人が出てくる。
 (b)今本格的に除染したらコストは凄くかかる。が、子どもや妊婦をはじめ福島の人たちに与える健康被害が減る。
 この2つの選択肢の場合、経済学のロジック「費用対効果」で考えたら、(a)を採ることになる。被害が出るのは一部の人で、また立証の難しい症状もある。その人たちには、自然減衰で放射能が減ってから訴訟を起こして賠償請求してもらいましょう・・・・。
 経済学者が経済学のロジックで福島の事故について考え出したら、公然とは口に出さないまでも、こうした結論を出した人もいる。それが、現実に暗黙のルールとして実行されている。とても人間的ではない。「人命を大事にする。人の健康を大事にする。日本の未来のため子どもを優先する」という当たり前の原則は、現在の経済学を超えている。原子力委員会の「新大綱策定会議」ではコスト計算をやっているが、コストに直していいのか。
 校庭の安全基準にしても、費用負担をできるだけ避けたいといった理由で、次々に安全基準を緩和してしまった。
 電力会社は賠償をできるだけ抑えたい。政府も税金をそこへ投入したくない。そうした姿勢でいるため、消費者には不信しか生まれなくなる。「人命、健康を大事にし、子どもを優先する」方針を明確に採らないかぎり、この国は完全に不信が積もり積もって崩れてしまう。

(2)原発問題は今後「日本が悪くなるのか良くなるのか」の試金石
 政府の無責任さに“NO”を明らかに表明し始める人々が出てきた。ことに身体に対する感受性が高い30代、40代の女性は、本当にこの原発事故とその後の政府・東電に怒っている。
 <例>千葉県のある地域で、放射線の測定と除染を進めるのに積極的なのは女性だ。男性の場合、反対意見が出て、「線量がわかると地価が下がるから」。会社人間として育ってくると、まずそういう発想になってしまう。 
 福島の子どもたちを守る運動も、母親たちが動いた。
 多くの人々が、政府のうさん臭さをもう嗅ぎ取っている。今回の事故後も電力会社を原子力安全・保安院がチェックする。最終チェックはSPEEDIのデータを隠した原子力安全委員会だ。・・・・誰も納得していない。有害物質を出した食品会社がラベルを何度も貼り替えて、「今度は大丈夫です」と言うようなものだ。誰も買わない。信用できない。
 今まで通用したから、まだ通用すると思い込んでいる感覚が信じ難い。
 福島に対して「ふたを閉めていく」ような動きが、今、出始めている。あれは福島で起きた問題、というふたの閉め方をして、よその地域は今まで通りやっていく。そのやり方だと、絶対同じ過ちを繰り返す。
 どれだけ大変なことであれ、どう処理していくかをどれだけ誠実にやるか、ということを試されている。それをちゃんとやらないと、この国に未来はない。
 日本の仕組みそのものが福島の事故によって問われている。実際に、電力会社が日本の財界の中心だったし、これまでのエネルギー政策は日本経済の中で大きな比重を占めていた。
 ひょっとしたら、今回の事故で世界のエネルギー政策は大きく変わり出している。その流れの中で日本は取り残されるかもしれない。

 【注】「【震災】原発>賠償を拒否する東電側の理屈 ~裁判~

 以上、大友良英/金子勝/児玉龍彦/坂本龍一『フクシマからはじめる日本の未来』(アスペクト、2012)のうち大友良英/金子勝「原発問題は今後の日本の試金石」に拠る。
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