さて続けます。
どこから飛んできたのでしょうか、ドロノキ。家に植えてはいけない木ですが。
駐車場にエダマメを植えています。なんか昔田んぼだったからかな。
鍼灸師の家ですね。サザエ鍼灸院というらしい。
なぜか畑がある。この前の家では無農薬野菜を売っているが、ここで作っているのか?
通りに面して、すし割烹の重兵衛。この辺りは同業の「一力」とかいい店が多い。
盛岡名物福田パン。大きめのコッペパンにあんこやバターを挟んでくれる。挟んでくれるものの種類は多い。昔ローリエという謎な挟むものがあったが、今は無い。罰ゲームに使えた。あとあり得ない組み合わせを頼む事も出来る。やろうと思えばポテトサラダにピーナッツバターとか出来る(はずだ、昔は出来た)。
類似の商売は青森のむつ市大湊にもあるが、福田パンのパンそのものが独特。あれはパンではなく福田パンという食品だと言い切る人もいる。なお福田パンの食パンは昔なじみのおいしさ。
最近穀物相場のせいか、やや小さくなった。
夕日がきれいです。
盛岡の町は狭いので、駐車場が所々にあります。オフィス街に近いので、本町3丁目あたりはかなり多くなっています。
謎の小道。昔の農業用水を暗渠にした所とかが、こんな感じで道になっています。
マンションにアパート。オフィスビル。そして住宅。いろんなコントラストがあります。
このまま空飛んでトランスフォームしそうなマンション。
とはいえ盛岡です。混在ぶりが楽しいです。
きれいな住宅が多いです。お金持ちが多そうです。
駐車場に取り残された家もあります。
これは隣の町内。すし屋さんは、昔の盛岡の商家の最小単位的な建物。
ここにはマトモな公園があります。向かってみます。
岩手山神社の公園。これなら避難所にもなる。この滑り台を見る度写真を撮ってしまう。
左が岩手山神社。右が熊谷稲荷。なんで並んでいるのかはよくわからない。なおここを起点に、奥州街道を北に、分かれから岩手山に向かうとまた岩手山神社が、山頂には社が、お鉢には奥の院がありますが、お鉢をぐるっと回って地蔵様が並びます。江戸時代に担ぎ上げたものだそうだ。
公園のそばには、自民党岩手県連があります。いまでこそ民主党王国の岩手ですが、昔は自民党王国。岩手県の政治の中心がここでした。
いろんな建物が混じります。
ほんと多様です。
ちいさな社もあります。写真ではないのですが社のある個人宅もあります。
石川啄木新婚時代の家が残されています。これは建物の裏。
啄木は天才だったと思いますが、こうして新婚時代の家まで残っているのは不思議です。上田三丁目には奥さんの節子さんの実家跡も特定されています。ただ八幡平市大更にある叔父の家跡に、民間人が看板を立てているのはどうなのだろうか。
広く見えますが、大家族でこの中にいたとは、確かにやりきれないかもしれません。短歌の天才ですが、同時に借金の天才・踏み倒しの天才、そして遊び人。この点に憧れるのは、私だけでしょうか。
ここが啄木のいた4畳半。実は勝手口が隣についています。
歌以外に財産を残さなかった啄木なので、こうして生前の跡が残されているのでしょう。
実はすぐそばに、同形の家が朽ちて立っています。多分こういった形の貸家が並んでいたのでしょうか。
近所には県民生活センターが。啄木への面当てでしょうか。
そんな事は無く、実は盲学校があった場所に立てられたもの。柴田魁三という方が、日露戦争で失明しその後ここに私立で盲学校を建てた。それだけではなく福祉全般に尽力した人です。県民生活センターがあるのも納得。
畳屋さんが。ちょっと下町臭さを感じます。
いろんなものが混じり合った町です。
ここは駅前の道から中央通に出るために、かならず通る交差点。なので一等地なのですが現在看板一等地になっています。昔は角地は高かったものですが、現在では道路交通法の関係で、交差点から10メートルはなれていないと車の出入り口が作れないので駐車場が作りにくく、価値が薄れているようです。
中央通から、本町三丁目です。裏側と表をみれば、そのないまぜが面白く見えてきます。
中央通から長田町をみます。角のタバコ屋のおじいさんがいい味です。岩手山がよく見えます。ここから見る岩手山も好きです。