水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

愉しむ・2

2006-01-11 20:30:24 | Weblog

「愉しむ」は自力だ。
他は関係ない。
楽しめる場所や相手やモノや機会もある。
だが、それは「楽しむ」だ。
受身の楽しみだ。

他が有っても無くても「愉しむ」。
何時でも、何処でも、どんな状況でも。
まるで・・・アホ。
理屈無し、条件無し。
アホだから、愉しめるのだ。

生命は理屈や条件で喜ぶモノじゃない。
ただ(生命が)有るだけで「喜ぶ」。
生命が有るだけで「愉しめる」。
この状態を「自然体」という。

何も無くても「愉しむ」事。
それを「絶対積極」と解説した人もいる。
名言だと思う。
深い言葉だと思う。
アホは・・・深いのかもしれないなぁ。

断トツの最優先は「生命」だ。
生命の為なら、死んでもいい・・・。
(オ、オイ!死んでもいいんかよ!)
そのくらい、大切な基本。
それを全員が持っている。
だから全員が「愉しむ」生き方が出来る。

病からの解放。
全員が鍵をもっているんだぜ。
使わないだけだ。
それも自由だけど・・・。

何も無くても「愉しい」人。
最近は少なくなっている。
条件が無いと楽しめなくなっている。
だから楽しみは・・・浅い。
浅いモノは・・・つまらん。


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愉しむ・1

2006-01-10 21:01:14 | Weblog

「面白かった~」
一日が終わって、そう口に出る。
生命力が活性化している時のセリフだ。
病を持っていても回復方向だ。
活性化とは方向なのだ。

雨が降っても「面白かった~」
大雪でも「面白かった~」
槍が降っても「面白かった~」
ぼた餅が降ってきても「面白かった~」

トラブルがあっても「面白かった~」
アクシデントは「面白い~」
困った事は「面白くなるかも~」
わからない事は「面白い事」

唯一つの条件がある。
生きている事。
それだけで充分と思えるなら・・・
あとは全て「面白い~」

病からの回復。
生きている事。
それ以外は「面白い事」
そう思えれば、ほとんど完成だ。

回復は
回復しなくても
回復が決る。
「面白い~」で決る。
いずれ回復するに決っている。

方向なんだなぁ・・・。
状態ウンヌンじゃないんだなぁ・・・。
方向が転換すれば先が観える。
あとは歩くだけだ。

共通は「面白い~」の言葉だ。
生きている事を面白がれる。
生きている事を愉しめる。
すると、生命は活性するようだ。
活性は回復力なんだ。

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R・1・3

2006-01-09 18:49:45 | Weblog

極楽浄土・・・。それにしては仏陀とキリストの超二大偉人が肘を付けているテーブルは白いプラスチック製だし、四脚置かれている椅子はバラバラに寄せ集められた安物だ。
もっとも、超豪華なテーブルセットに座る偉人なんてウサンクサイだけだ。この二人が座れば、どんなモノでも似合っている。

キ:「ゲシュはんも座りなよ」
ブ:「ちょっと古いけど充分使えるぜぇ」
ゲ:「何処からか拾われてきたのですか?」
キ:「うん。日本だ。あそこには使える家具が道に落ちている」
ゲ:「キリちゃんが拾ってきたのですか?」
キ:「そうだけどさぁ、ヒデェんだ。あそこは。」
そのとたん、仏陀が破顔で笑いこけている。

ゲ:「どうされたのですか?」
ブ:「キリちゃんさぁ、この姿だろ。椅子とテーブルを担いでいたら、近所の人に通報されたんだよ」
キ:「誰に危害を加えたわけじゃなく、まだまだ使えるのに捨てられているモノ達に手を差し伸べただけなのにねぇ・・・」
ブ:「キリちゃんだから、愛に区別しないだろ?それが通用しないんだ」
キ:「警官に連れて行かれて、それからが大変だったんだ」
ブ:「何しろ地球では住所不定だし。年齢は2000歳を超えるしね。
名前はキリストだし。この格好だろ?警官もブタ箱に入れるわな。」

キ:「久しぶりにマトモなお話をしてあげようとしたのに・・・」
ゲ:「今の文明国といわれる国では無理ですよ。肩書きと見た目でしか判断できないですからね」
ブ:「キリちゃんより小奇麗なワシでも捕まるだろうなぁ・・・。仏教関係者でも話は聞かないだろうね。どこの宗派にも寺にも属してないで説教したって・・・」
ゲ:「で?どうしました?」
ゲシュナムは興味津々、子供の目で話の続きを聞きたがった。

ブ:「ゲシュはん、その目をしている人間が少なくなったんだよ。仏教なんて子供の目と耳で学ぶもんだ。ワシは最初は森のケモノ達に話たんだぜ。小賢しい理屈なんざ誰が聞くか。そんな事も判らなくなっているんだなぁ・・・」
キ:「キリスト教なんてもっと酷いもんさ。積極的に差別し戦争してるもんね」
ゲ:「まぁ、御二人の教えがヘタということで・・・。
そんな事より、どうしました?その続きは?」

ブ:「ゲシュはん、その切り替えの速さが、ここに来られた要素だよ」
キ:「そ。いつまでも学んだ事にとらわれてないし、陽気だしね」
ブ:「どんな状況でも愉しめるから極楽に来られるのに・・・あまり来ないねぇ」
キ:「ゲシュはんが続きを聞きたがっているから」
ブ:「このへんでメシにするかぁ?」
ゲ:「はい、御相伴いたします」


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白の世界

2006-01-08 23:25:09 | Weblog

空が白い。
空気が白い。
大地が白い。

身体が白い。
心が白い。
魂が白い。

感情も白い。
理性も白い。
法則も白い。

悲しみも
苦しみも
喜びも
快も

意識が
ホワイトアウト。

私が・・・白。

(こ、これって・・・
そ、雪遭難?)


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ネアカ

2006-01-07 21:31:11 | Weblog

「ネアカの人は得ですねぇ~」
長い病い人は次第に暗くなりがちだ。
外見を明るく振舞うタイプも多くいる。
でも、心の中は闇(病)を見つめてしまう。
ネアカでいられる人は極僅かしかいない。
彼女もそう思っていた。

「人間はネアカ以外の人はいないよ」
ワシは常にそう言う。
根、つまり心の底は皆明るいのだ。
根が暗い人は生まれて来ない。

物事が判らなくなったら自然に学べ。
ワシの判断基準だ。
人間の自然体。
それは「赤ちゃん」だ。
暗い赤ちゃんはいない。
明るいから、明ちゃんでもある。

基本的な自然体が明るいんだぜ。
誰でもだ。
何も無くても笑っていられる。
それが人間の自然体だ。
誰でもだ。

その後の人生の環境。
笑えなくなった人はいるだろう。
闇(病)を見つめ、闇(病)に暮らす人もいるだろう。
だが、根は明るい。
これは、単なる事実だ。

根は変らない。
いつでも根に帰る事ができる。
性格が暗いと勘違いする人は多い。
性格は皆、明るい。
生き方が暗いだけだぜ。

生き方は自由だ。
暗く生きるのも自由だ。
拗ねて生きるのも自由だ。
笑って生きるのも自由だ。

ただねぇ・・・
根が明るいのだ。
明るく生きるのが、一番楽なんだ。
そこに無理が無い。

無理して暗く生きるのは疲れないかぁ?
と、そんな事を話しながら、
(病・闇を)放す手伝いをしているんだ。
ワシは単純な事実を話している。

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「R・1・1」

2006-01-06 21:48:25 | Weblog

「楽園座談会」

登場人(?)

グレちゃん: グレートサムシングという、この世の創造主。
ブッちゃん: かつて仏陀といわれた。
キリちゃん: かつてイエス(キリスト)といわれた。
ゲシュはん: かつてゲシュナム・リンチェンといわれた。

(注: これはフィクションであり実在する、あるいは実在した特定の個人や団体を示すものではありません。
たまたま似た名前の人・偉人・団体等がありましても、気にしないで楽しんで下さいね)


     序章

「師よ。まだ逝かないで下さい。」
「師よ。目をお開け下さい。」
 チベット亡命政府がある北インド、ダラムサラ。ある寺院の一角にある部屋に多くの僧侶が集まっていた。
 今まさに逝こうとしているのは、チベットの智慧とよばれたゲシュナム・リンチェン師。103年間の波乱の生涯を閉じようとしていた。
 い、いや・・・目を、開けた・・・。
「チ、チベットは、永遠に、ふ、不滅だ。」
「師よ。それは・・・パクリですぅ・・・」
「フォフォフォ。人生は、お、面白かったぞ。」
 悪戯っ子の輝きをした瞳は再び閉じられ、そのまま二度と開くことはなかった。

「出発(たびだた)れたか・・・。共にチベットからヒマラヤを抜けて亡命し45年。師の明るさはチベット国民と僧達の最高の糧だった。師がおられたから、生き延びる事が出来た。
感謝!合掌!オン・ドルジェ・タクデン!」
 一人籠った瞑想場で、ダライ・ラマ法王が呟いた。
やがて無言の経が空を明けるまで続いていた。


「R・1・2」

  第一章

   出会い

 丸顔で背の低い中年と、痩せて無精髭長髪の中年の男が二人。
ブ:「おっ、誰か来たぞ。」
キ:「久々だね、ブッちゃん。」
ブ:「何でこう間が空くのかなぁ?ワシ達、教え方が下手だったのね・・・」
キ:「ブッちゃん、気取りすぎたんだよ」
ブ:「ハッハッハ、若かったしねぇ~」
キ:「ブッちゃんは80年もいたじゃない。ボクなんて、33年だぜ。」
ブ:「まぁ、いいじゃない。人間界は年数じゃねぇから。」
キ:「ここに来れば、人間界で何歳であっても皆中年の姿になるんだもんなぁ」
ブ:「ワシなんて、40歳くらい若返った感じぃ~」
キ:「ブッちゃんの言葉使いは10代だよ。」
ブ:「昔から、こんなもんだったよ」 

 そこに若返った中年姿のゲシュナム・リンチェン師、登場。
ゲ:「こんにちは」
ブ・キ:「いらっしゃ~い。待ってたよ~」
ゲ:「貴方達は・・・も、もしかして・・・」
ブ・キ:「わ、判るぅ?」
ゲ:「私は正統仏教としてチベット仏教を学んだ者です。祖を思い浮かばない時など、一瞬たりともありません。私ごときがお会いできるなんて、夢みたいでございます。」
ブ:「う~ん・・・夢っていうかぁ、もう死んでるしぃ~・・・」
ゲ:「ん?誰が?」
 ゲシュナム師、相手の二人と自分の足を見る。
 足はある。
 
キ:「じいさん、まだボケているんじゃない?」
ゲ:「そういう貴方は・・・」
キ:「わ、判る?」
ゲ:「その髪、その髭。痩せた体。・・・床屋にも行けない、プータロウ?」
 一応礼儀にのっとり、キリストはずっこけた。

ゲ:「ありがとうございます。こんなジジイのボケに付き合っていただきまして。
キリスト様ですね」
キ:「キリちゃんでいいよ」
ブ:「ワシ、ブッちゃんて呼んで」
ゲ:「そ、そんな、畏れ多い・・・そうですか、では遠慮なく。
私はゲシュはん、でお願いします」
キ:「このノリのよさ!そうでなくちゃここには来られないもんねぇ」
ゲ:「ところで、ここは何処でございまいしょうか?」
ブ:「楽園だよ。桃源郷でもいいし、極楽浄土でもパラダイスでもいいよ」
 ゲシュナム、周りを見渡す。
ただの野原にも見えるが、清浄な空間であるようだ。
ゲ:「ジジィだった私がこんなに若返って・・・。
確かに極楽浄土のようですね。あとは若ぇね~ちゃんが・・・」
キ:「ゲシュはん。さすがに高僧といわれるだけあるなぁ。」


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雑記の行方・2

2006-01-03 23:03:02 | Weblog

一冊分の文章が4つ。
四冊分の文章をコマギレにする。
しかも前後もバラバラにする。
一日分は僅かな字数だ。

つなぎ合わせるのは難しい。
書いているワシは(多分)判る。
読む人・・・減るだろうなぁ・・・。
何の事か判らなければ、ツマランだろうな。

まぁいい。
ワシはお笑いブームから外れた芸人だ。
読者の機嫌取りなど、まっぴらだぁ。
だが根性も人一倍無い。
い、いや・・・人の五倍は無い。
根性無しはワシのオリジナリティだ。
「閑話」でグレた文章を時々入れる。

基本的にはマトモな文章だ。
ワシ的にはマトモという意味だ。
世間的にはグレた文章だと思う。
どうなるか、わからない。

4つの文体が違う。
整理整頓の苦手なワシだ。
そのうち・・・混乱すると思う。
そのうち・・・混合するかもしれない。
何が何だか判らなくなりそうだ。

元の題名はある。
だが題名は教えない。
「ヒーリングについての考察」
「仮想座談会の形」
「愛について」(のグレた話)
「エッセイ」

どれか一つにした方がいいだろうなぁ。
その方が書きやすいだろうなぁ。
でもワシはハチャメチャが好きだ。
理性よりも感情が優先するのは当たり前だ。
好きな事をしていれば、何とかなる。
というわけで、ハチャメチャな方法で行こう。

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雑記の行方・1

2006-01-02 21:24:27 | Weblog

2002年12月1日。
そこから毎日雑記を書いている。
ヒマだったんだ・・・。
今もヒマな時間はある。
だが、雑記を書く時間が少なくなっている。

この雑記はパソコンで書く。
ヒマな時間があってもパソコンの前じゃない。
昨年中古のノートパソコンを買ったが、
常に持ち歩ける大きさと性能じゃない。
ホテル滞在用だ。

まだある。
今までは御筆先様が常駐していた。
ワシはキーボードに手を置くだけでよかった。
最近、御筆先様は旅行に目覚めたらしい・・・。
帰ってこない日が多くなってきた。

昨年から、少しだけ仕事依頼が増えた。
その分パソコンをいじる時間が無くなった。
御筆先様もいない。
雑記が更に雑な書き物になった。
少し、方向を変えようと思った。

ワシは書きたいテーマがある。
そして、少しづつ書き出している。
しかも、同時に4つの別な書き物だ。
だが、雑記優先で途中で止まったままだ。
少しマトモに書いているのだ。
御筆先様が乗るのにも時間がかかる。

そうだ。
毎日書く、この雑記と兼ねよう。
話もテーマもアチコチ、跳ぶ。
読む人の事など、知ったことか。
元々、独善雑記だ。
勝手気ままに書いているのだ。

更に更に、読む人は解らないと思う。
ワシだけが納得していればいい。
ワシだけが整理つけばいい。
時々は「閑話」も入れる。

本来は一冊分の文章だ。
だが最初から順序良く発表しない。
気まぐれに4つのテーマが入り乱れる。
だから、何が何やら、判らない・・・。
そういう一年にしようかと思っている。


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2006年・始

2006-01-01 21:52:48 | Weblog

今年は始の年。
鍵は解けた。
そして、扉が開き始める。
2006年。

扉の向こうには光。
だから

あけまして(開ける・明ける)
おめでとう(芽が出るだろう)

こちら側は未だ闇がある。
扉から光が漏れる。
光が闇(病)に当る。
闇は混乱するかもしれない。
2006年は始まりの年だ。

混乱があっても大丈夫。
闇が多少暴れても大丈夫。
一見、辛いかもしれないけど、
それは本当の苦しみじゃない。
苦しみが消える時の幻の苦しみだ。

今までの常識が混乱する。
常識は闇の影響があったからだ。
正誤にこだわるのは闇の影響だ。
光は正誤を問わない。
光は暖かく、温かい(優しい)。

光には身を任す。
光には心を任す。
ただ、受けるだけでいい。
自然に体と心と精神が反応してくれる。

始を感じる人。
何か、ワクワクしている人。
期待していい。
多分・・・何とかなる。

今年から、見えない力はますます増大する。
闇の力も強くなるが、安心していい。
扉は開き始めている。
関(かん)の扉だ。
向こう側に行ける道が開いたのだ。

こちら側まで光が届き始める。
光を感じたら、少し進めばいい。
あせらなくても大丈夫だ。
もう、扉は開き始めているぞ。

(光に)包まれれば、解る。
(闇を)放せば、解る。
元々は生命(光)の存在だった事を。

向こうへ進むのも自由。
こちらに退くのも自由。
光を浴びるか隠れるかは自由だ。
扉は開き始めている。
ラッキーが更に広がり始めている。

2006年 初日。

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