水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

「迷説般若心経・187」

2008-02-09 19:24:20 | Weblog



  第十五章(3)
  三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 

他と助け合って生きる。
生かされている。
そんな当たり前に気づけば明るくなれる。
それがブッダ(開かれた人)という意味だ。
決して修行して精進した結果じゃないぜ。
ブッちゃんは「下手な修行は害だ」と言ったぜ。

明るく柔らかい生き方。
それがブッダだ。
誰でもなれる可能性がある。
可能性はあるが、結構難しい。
簡単そうだが、かなり難しい。
単純なのは、奥も深いものなのだ。

悟りを開いた人がブッダなら誰もいない。
いたと仮定しても、一人から数人。
そんな特殊な人用に経は説かない。
悟りを開こうとして、人生を無駄にする。
更に、他の人や生物に迷惑をかけるのがオチ。

   
              
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説般若心経・186」

2008-02-08 12:56:52 | Weblog



  第十五章(2)
  三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 

真理は解っても解らなくても変わらない。
真理は知っても知らなくても差が無い。
(知れば優越感があるかもしれないが、くだらない)
そんな事より大切な事がある。
大切なモノがある。
この物質界(肉体界)にいるのなら、優先する事がある。

地球上に一定時間存在できる。
それが、この世に生まれた特権だ。
しかも多種多様な生命体と一緒だ。
それらが補い合って存在できる。
ここは、共存共生の世界(星)なのだ。

真理を追求する前にする事がある。
毎日を暮らす事だ。
他と関わり合って、生きている。
ならば、する事があるだろう。
真理を追求するより優先だろう。
この世に生まれた業(行)というのがあるとすれば、
毎日、他と関わり合って生きる事だ。
当たり前だろ。

  
              
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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「迷説般若心経・185」

2008-02-07 11:01:08 | Weblog



  第十五章(1)
  三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 

過去、現在、未来を「三世」という。
諸仏は「開かれた人達」のこと。
ブッダ(仏)を「悟った人」と訳すから誤解する。
悟りとは開かれた事だと思うが、通常は違うイメージだ。
何でも解っている超高級意識、みたいな・・・。

御釈迦様は尊称としてブッダといわれる。
だが、誰でも開かれればブッダなのだ。
ここは御釈迦様個人を指すブッダ(仏)ではない。
(可能性として)ワシやアンタだ・・・。
可能性はゼロに近いが・・・。

真理が解ることを「悟り」とするから間違う。
真理など、どうでもいいと悟るからブッダなのだ。
大切なのは、調和だと悟るからブッダなのだ。
生き方が正しいからブッダなのではない。
生き方が明るいから開かれた人(ブッダ)なのだ。

 
              
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「迷説般若心経・184」

2008-02-06 10:45:03 | Weblog



  第十四章(12)
  遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃

「正しさや真実だけ追いかける心から離れようぜ。
夢やアイマイなモノを大切にしろよな。
夢を持つから明るくなれる。
想いがあるから、温かくなる。

慈悲というのは、アイマイを大切にする心から生まれるのさ。
未熟な心を、そっと抱いてあげるのが慈悲ってもんだ。
未熟なのは、お互い様だぜ。
真実追求の心からは慈悲は生まれない。
それは非情ってヤツだ。

夢や想いや慈悲を持てば、そこが涅槃だ。
お互いに慈悲があれば、そこは極楽だ。
なにも遥か彼方にあるわけじゃ無ぇ。
毎日の生活の中に涅槃があるのさ。
(あまり真実追求にこだわるなよ、弟子達・・・)」

              
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「迷説般若心経・183」

2008-02-05 10:57:10 | Weblog



  第十四章(11)
  遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃

ワシ的訳。
「生きる、暮らすってのは毎日の事だ。
楽に生きる、元気に暮らすにはコツがあるぜ。
嬉しい事もあるけど、辛い苦しい事もあるよな。
そんな事ばかりだと滅入るよなぁ。
毎日の現実ばかり見ると、未来を暗くしちまうのさ。

だから夢があり、空想があるのさ。
夢や空想は現実からの逃避でも空しいモノでも無ぇぞ。
使い方さ。
毎日を明るく生きる為に使えばいいのさ。
時には夢や空想が現実にだってなる。

夢や空想を捨ててしまうなよ。
正しさや真実を追いかけると夢を失うぞ。
夢から遠く離れると、全てパァになるぜ。
生きているって事の意味が無くなるんだ。」

             
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「迷説般若心経・182」

2008-02-04 11:16:35 | Weblog



  第十四章(10)
  遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃

涅槃が特殊な境地だと仮定して。
そこに至る経が「大般若経」として。
今まで、幾人の人が行けたのか?
涅槃に行けた人(僧が主?)がいた、と仮定して。
その人は超エリート(選ばれた存在)なのか?
ある特殊な人にしか役立たないような、経か?
「般若心経」は、そんなチンケな経か?

ワシは思う。
キマジメな字面の訳は心経をバカにしている。
「煩悩を無くせば涅槃に辿り着ける」
こんな言葉は役に立たない。
「心を綺麗にすれば天国に行ける」
人が生きている事実を無視した言葉だ。
理屈だけの上辺だけの訳は害になる。

「毎日、生きていれば立派だぜ。
無理やり立派になるなよ。
悟ったりすると、涅槃じゃなくなるぞ。
涅槃は、普通の暮らしの中にあるんだぜ。」
ブッちゃんは、優しく、そう言ったと思う。

            
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「迷説般若心経・181」

2008-02-03 18:42:11 | Weblog



  第十四章(9)
  遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃

優れた経は多大な意味を内臓す。
心経も多種深遠な意味を内臓している。
だから解釈もいろいろ出来る。
出来るのに、既存の訳は偏りすぎている。
大体が同じような訳になってしまっている。

ワシ的訳はかなりコジツケてある。
そんな事は承知の上だ。
それでも、既存よりは役に立つと自負している。
悟りを目指す人の割合がどれだけいるか?
挙句に境地に辿り着ける人がいるのか?

人はそんなに優れてないのだ。
不完全で、不出来な魂なのだ。
更に不自由な肉体を、まとっているのだ。
そういう人に役立つ経ならば、生活に添ってだ。
暮らしに活かせなければ意味が無い。
思い上がった人達用の解釈は意味が無いのだ。

          
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「迷説般若心経・180」

2008-02-02 18:19:01 | Weblog



  第十四章(8)
  遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃

ここでも「一切」が挿入されている。
どうやらゲンちゃんが勝手に入れたらしい。
原文には「一切」は使われてないらしい。
ならば、特に言いたい部分なんだろうな。

「涅槃の解釈を間違うなよ」
ゲンちゃんは優しいイタズラ坊主だ。
ワナを仕掛けたけど、注意書きもしておいた。
なのに「一切」を単なる強調語と訳してしまう。
頭のいい人達って、素直じゃ無ぇなぁ・・・。

「夢も空想も無い事(転倒)は、全て(一)幻(切)だ。
そんな心とは、おさらばすれば(遠離)いいさ。
そうすれば、生きているだけで涅槃ってもんだ
夢や空想や希望があるから、生きていけるんだぜ」
どうでぇ。
この訳の方がマシってもんだろ。

         
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「迷説般若心経・179」

2008-02-01 11:26:34 | Weblog



  第十四章(7)
  遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃

涅槃は、何もかも悟りきった人がいる境地じゃない。
そんな人は・・・いない。
五万歩譲っても、ほとんど、いない・・・。
対象者がいない相手に経を説くほど、ブッちゃんはボケてないぜ。
悟りきった境地だ、と解説する人だって悟った事は無いんだぜ。
そんな人相手に、ゲンちゃんも心経を書いたわけじゃないぜ。

心経が何故あるのか、もっと素直に観よう。
誰を対象にしているのか、素直に想像しよう。
衆生(衆生意外の人間なんていないけど・・・)や
ケモノや妖怪達の悩み苦しみの為に説いたし書いた。
当たり前じゃないかぁ。

それなら、大難し理屈や小難しい解説は間違いだろう。
八っつあんや熊さんが納得する話が経だろうよ。
夢想の無い境地が涅槃なら、誰も行きたがらない。
だから、夢想を遠く離れた境地というのは間違い訳だ。
 
        
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
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