ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

霞ヶ関文学で原発はどうなる

2012年08月06日 | 経済

「に」一文字で別解釈に

過去に政策金融改革では当初案「日本政策投資銀行は完全民営化するものとし・・」が「日本政策投資銀行は完全民営化するものとし・・」と「完全」、「民営化」の間に「に」の文字を入れただけで意味が大きく変形してしまった。=YouTubeご参聴。
事実その後、完全民営化は遠のいた。岸博幸氏(元経産官僚、慶大教授)の解釈の通りに進んだ。ふつうの感覚をした国民にはとても理解が及ばない、これが霞が関文学=官僚文学のマジックなのだ。

“野田文学”も霞ヶ関仕込み

同じように野田総理は、近頃さかんに「原発の依存度を可能な限り低くしたい」という。素直に聞けば、できるだけ原発依存をしないように努力するのだろうと思ってしまう。
しかし霞ヶ関文学ではそうではない。全く反対に「もし可能でない(不可能)と思ったら何もしなくてよい」という意味だと古賀茂明氏(改革派元経産官僚)=写真=は解説してくれる。同氏によると「おそらく民主党は次の総選挙の公約に「脱原発」と読み取れるフレーズを盛り込んでくるはず。だけどそれは言葉が躍っているだけ。真意は別にあるのだ。「原発ゼロ」の4文字をマニフェストに入れられるかどうか、そしてその時期を明記できるかだと話す。(古賀政経塾!!)

「原発ゼロ」明記できるか

古賀氏の指摘には同感です。しかし「原発ゼロ」の文字は民主党に限らずその他の政党にも試されていることではないだろうか。次の選挙では各党の、この4文字及び、時期の明記をしっかり確認して投票判断の参考にしたいと思います。

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元通産官僚が明かす「霞ヶ関文学」という名の官僚支配の奥義

コメント (4)
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