陽は沈み陽はまた昇る
突然、ふらりと出掛けてゆき、ボンヤリとしたひと時を過ごすのが好きです。 先日も、西の空がうっすらと茜色に染まって、こんな日は、沈む夕日も大きく見えるものだから、「海に落ちる真っ赤な夕日が、きっと綺麗だろうな~」と、自然と足は海に向かっていた。 浜辺に腰掛けて水平線をボンヤリと眺めていると、中空にあった茜色の夕陽は、刻一刻と真っ赤に染まりながら海に落ちて行く。 瞬く間に大きな夕陽は海に沈んで行った。 こんな一瞬が私にとっては、とても貴重なひと時です。 「今日も生きた。」と実感できるのです。 そして今日の一日、どんな事があったのだろうかと、自戒を込めてその一瞬に思いを巡らすのです。 私の好きな「相田みつを」の、魂の一行詩?の中に 『生きているうち はたらけるうち 日のくれぬうち』と言う下りがある。 今日の一日、陽が沈むまでに私には一体何が出来のだろうか。 何事も成し得ることはなかったとしても、大きな収穫とは言えないが、「今日も生きたと」言う些細なことがある。 そしての水平線の向こうの、漆黒の海に沈んだ夕陽は、あしたになれば、また昇って来るのです。 空気の澄んだこの時期の夕日は、とてもとても大きく真っ赤に見えるのです。 メキシコでは、太平洋のことを「記憶(過去)のない海」と言うそうです。 この日本海も同じく、「広くて大きく、深くて遠く」すべてを飲み込んでしまっているのでしょう。
禁じられた遊び:ナルシソ・イエペス