菜の花と蓮華草のコントラストがとてもきれいだ!
先日、少し郊外まで足を延ばして、田舎道を散策していると、なんと、、、最近トント見掛けなくなっ
た蓮華草が田んぼ一面に・・・その向こうには菜の花が咲き乱れおり、夕陽を受けて鮮やかに赤と
黄色に染め分けられいる。
近くで農作業中の方に尋ねると「昔は放っておいても、春になると蓮華の花で埋め尽くされたもん
だが、今は種を蒔かないと・・・」、道理で見る機会が少なくなった訳だ!
私には、この蓮華草は忘れられない花である、あれは小学4年生になった春の事だった、 父の
”野辺送り”がこの蓮華草が一面咲き乱れる田んぼで執り行われたからである。
当時、田舎の葬儀は、生まれ育った自宅でするのが普通だった時代、参列の方が多かったため急
遽、田んぼで行われたのか? 今もって分からないのだが、あの日の赤い蓮華草は今も瞼に焼き
付いている。
そんなわけで、今回のブログUPに合わせて、ネットで少し調べてみると、花言葉は『私の苦しみを
和らげる』となっていた。(知るや知らずや・・・)
また、ギリシア神話では~祭壇の花を摘みに野に出た仲良し姉妹の姉が、誤って蓮華草を摘んだ
ため、この花に化身させられたといわれ、姉は「花はみな女神が姿を変えたものだから、もう花は摘
まないで・・・」と言い残したとの伝説も残されている。
また江戸時代の俳人:瓢水は「手に取るな やはり野に置け 蓮華草」~野に咲いているからこそ美
しい、摘んで自分ひとりのものにしてはならない~と詠んでいる。
蓮華草の中での野辺送りの訳が、何か見えてきた様な気がする。
春の代表花「蓮華草」を、今年も見ることが出来幸せなことである。
今日も良い一日であります様に
無意識に一番好きだったのかしら・・と深く感じ入るものがありました。takaさん・・。お父様のご逝去が小4はあまりに早すぎましたね・・・;;(涙)心中お察しいたします、と書かせていただきたいですが、私はまだ肉親と別れてしまったことがないため・・さかしげに簡単にそう申し上げられません。;;。想像させていただくしか・・;;。でもこちらも大変胸が痛いです、私の今までの苦労はtakaさんに比べると苦労と言えない気がします。まだまだ、まだまだこれからきついことが押し寄せてくるのに、私はしょっちゅう立ち止まってしまう気がします。でもせめて蓮華のはなを心に思い浮かべて、これからも精進していきたいと、この記事を拝見して強く思いました。有難うございました・・。
お陰で久し振りに父のことを偲ぶことが出来ました。
こうしてこの世界は、見えない力が働きあっているんだな~と思いました。
こちらこそありがとう。
蓮華草は家の前一面に咲きます
子供のころから今も景色はそのままです
蓮華草の中に寝そべるともう誰からも見えなくなって
かくれんぼにはもってこいの場所でした^^
takaちゃんさんにとっては野辺送りの思い出の場所なんですね
蓮華畑は、まさに”花に囲まれて”と言う風情ですよね。
若い頃姪の子守りで、蓮華畑にゴザを敷いて、遊ばせたことがあります。
この時、私が撮った写真が今も残っており、姪と「こんな事もあったな~・・」と、懐かしく話しました。