いつの間にやら当ブログのご訪問者数が延べ10万を突破したしました、厚く御礼申し上げます。
さて8月19日(日)、宿を出まして最初に訪れましたのは
呉市海事歴史科学館 俗称 大和ミュージアムであります。
外観
お約束
さて館内でありますが、呉の歴史に始まり
戦艦大和関係の資料。写真は引き上げられた大和の備品です。他に戦死した方々の遺品、遺書なぞもありますがこれらは撮影禁止となっています。
さらに戦後復興期の呉の様子や
造船業の繁栄の様子なぞがあります。
再び時代をさかのぼり、軍港として発展した市の一面を表すものとして
運用開始当初は世界最高とうたわれたゼロ戦
特攻用小型潜水艦 海龍
これも特攻兵器の人間魚雷 回天
等、日本海軍の兵器が展示されております。
さらに波発生機や
船の揺れを体感できる器具など、子ども向けの設備も充実しております。
海側からみたミュージアム。海側には
深海探査艇や
水中翼船も展示されております。
館内にある戦艦大和の大型模型。
1945年4月6日、戦艦大和は巡洋艦1、駆逐艦8を従え、呉を出港、沖縄へ「水上特攻」に向かいました。呉出港後には早くも米潜水艦に補足され、大和の動きは米側に筒抜けだったとかで、4月7日には米航空部隊の攻撃により僚艦5隻と共に沈没しました。
沖縄本島の海岸に突っ込み、口径46センチというその巨大砲をもって上陸した米地上部隊を砲撃、その後乗り組み員は全員上陸し白兵突撃をもって米軍を殲滅するというおよそ馬鹿げた作戦の途上、4,000名近い貴重な人命が失われたのであります。
何かの本で読んだ生存者の方の「米上陸部隊に向かって砲を撃ったら沖縄の人も沢山死ぬだろうなと思った」という言葉が強く印象に残っている。
当時の日本政府、軍が守ろうとしていたのは少なくとも国民の生命でなかった事だけは確かなようで、そのような状況下でなくなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、我々が今何をすべきか、考えさせられた貴重なひと時でした。