2023年4月6日(木)大分県中津市へ日帰り出張、仕事が終わって帰りの汽車の時間まで観光した。
15時18分、菊池寛の小説「恩讐の彼方に」の題材となった江戸時代の手掘りのトンネル、青の洞門駐車場に至った。駐車代無料である。
これは石工らとともに自らノミと鎚をふるって洞門を掘った禅海和尚の像である。
江戸時代、当地を巡礼の旅の途中に訪れた禅海和尚、奇岩の絶壁に作られた鎖付きの桟道を行く数多の旅人が転落して命を落とすのを知り、この奇岩にトンネルを穿つことを発起し、托鉢で資金を集めるとともに石工たちに交じって自らノミをふるったという。
現在は手掘りではなく重機により掘削されたトンネルが利用されているが、手掘り部分はわずかながら残っている。
どこが手掘りか判りづらかった。
いったん現代のトンネルを歩いて
駐車場と反対の洞門口まで行き
石碑を見て折り返した。
ここにも手掘りの跡があるそうな。
大きな穴が岩壁に開いていた。
手掘りの明かり取り窓である。
再び車道へ出て
駐車場へ戻る。
車道より駐車場方面を見る。道幅が狭いため、クルマは信号機によって交互通行となっている。
その昔、旅人が難儀したという桟道がここにあったのであろう。
青の洞門の着工は、享保20年(1735年)、完成は明和元年(1764年)という。手掘りで完成した江戸時代のトンネル、まさに現代人へなにかを語ろうとしているのだった。
15時18分、菊池寛の小説「恩讐の彼方に」の題材となった江戸時代の手掘りのトンネル、青の洞門駐車場に至った。駐車代無料である。
これは石工らとともに自らノミと鎚をふるって洞門を掘った禅海和尚の像である。
江戸時代、当地を巡礼の旅の途中に訪れた禅海和尚、奇岩の絶壁に作られた鎖付きの桟道を行く数多の旅人が転落して命を落とすのを知り、この奇岩にトンネルを穿つことを発起し、托鉢で資金を集めるとともに石工たちに交じって自らノミをふるったという。
現在は手掘りではなく重機により掘削されたトンネルが利用されているが、手掘り部分はわずかながら残っている。
どこが手掘りか判りづらかった。
いったん現代のトンネルを歩いて
駐車場と反対の洞門口まで行き
石碑を見て折り返した。
ここにも手掘りの跡があるそうな。
大きな穴が岩壁に開いていた。
手掘りの明かり取り窓である。
再び車道へ出て
駐車場へ戻る。
車道より駐車場方面を見る。道幅が狭いため、クルマは信号機によって交互通行となっている。
その昔、旅人が難儀したという桟道がここにあったのであろう。
青の洞門の着工は、享保20年(1735年)、完成は明和元年(1764年)という。手掘りで完成した江戸時代のトンネル、まさに現代人へなにかを語ろうとしているのだった。