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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた(213) 甲越 川中島血戦 40

2024年09月29日 21時11分06秒 | 甲越軍記
 景虎より、平賀惣助を使者に、明日有無の決戦を遂げるべく由と晴信に申し来る。

十一日、越後方先陣、北條丹後守、新発田尾張守、長尾平八郎、諏訪部次郎右衛門
第二陣は、柿崎和泉守、甘粕近江守、新津丹波守、高松内膳、旗本の先手は本庄弥二郎、新庄左衛門、中條越前守政景

甲州方は、先陣、飫冨兵部、小山田備中守、芦田下野守、相木市兵衛、望月甚八
旗本の前備えには、山本勘助、諸角豊後守らの諸将
後備えには真田弾正忠、馬場民部少輔ら、両陣既に押し出せば、景虎は卯の花縅の鎧、同毛の冑を着し、黒の馬に金覆輪の鞍を置き、深紅の厚房をかけさせ、近習十人に、宇佐美駿河守を従えて北條の備えに入り、甲州方を斥候した。

甲州の大将、武田晴信も紅裳濃の鎧に、法装の冑を着し、粕毛の馬に蒔絵したる鞍を置かせ、山本勘助、内藤修理正を従えて近習十二、三にて小山田の陣に入って越後勢を観察する
山本、内藤としばし軍議する、やがて山本勘助は先陣の諸軍を駆け巡って、備えの配置換えを命じた
旗本の前備えにある、跡部、曽根、安部、市川の小勢でしかも若手の者どもを手先に繰り出して、飫冨、小山田、芦田の勢を第二陣として入れ替えるを見た景虎は知謀兼備の名将なれば、晴信の胸の内を早くも見抜いて、急に軍師を諸備えに走らせて、引き上げさせた。

先陣であった、北條、柿崎、甘粕、小村、長尾越前以下、相加えて八備えを殿軍として、榊(坂城)の切所に控えさせた
これを見て、武田勢の跡部、曽根、安部、市川は「長尾勢が退くぞ、進めや進め」と馳せ出れば、飫冨、小山田、芦田の勢もどっと叫んで先陣争いに加わる
長尾越前守が最後尾の殿軍であれば、そこに一斉に切って懸かる

ここに小幡山城守虎盛の弟、小幡惣七郎はむかで衆十二騎の一人であれば、先般の同じむかで衆に属す、飫冨、春日の両名に手柄を先に奪われたことを無念に思い、今こそ手柄を立ててみせると一番に馬を走らせて乗り込み、紺色の鎧を着た馬武者に追いつき、後ろから総角を掴んで力任せに引けば、敵もしたたかな者であれば、体を反転させて小幡に組みあい、二人は両馬の間にどっと落ちる
そして上になり下になり転げまわって戦えば、小幡が武者の上になって押さえつけ、首を掻かんとするところ、敵も敷かれながら手を引き抜いて、小幡の草摺りの外れを三度まで刺すが、惣七郎はものともせず、腰刀を抜いてついに首を切り落とした。



人生相談

2024年09月29日 08時59分30秒 | 心 思い
 妻がプイと家を出て行って、それっきり帰ってこない
ラインを送っても既読にさえならない
「どうすれば妻を帰ってこさせることができるか」知恵を貸してほしいと知人からラインが来た。

ラインの既読さえないのだから、そうとう妻は怒っているか、もはや彼など眼中にないかのどちらかだ
たしかに彼には落ち度があって、それは100対0の落ち度なのも知っている

世間では「夫婦喧嘩は犬も食わない」という、私もそうしようと思っている
無責任に首を突っ込んだり、口を挟んでよけいこじらせでもしたら、大失策だ
さりとて困っている知人を無視するのも男気がない
そうとう参っていて、これに留まらず悪い方向に傾けば、それも困る

もう何か月かたって、事態は一向に進展していないようだ
もはや望みは無いと言った方が早いくらいだ
仲良く見えた夫婦でさえ、近年は夫の退職を待っての「熟年離婚」が流行していると言う
それほどに女性の不満は蓄積しているのであるのか?

男などという者は、何十年妻と連れ添っても、妻の苦労や不満に少しも気づかない、気づいたふりをするだけだ
それで、たまに優しい言葉をかけたり、ちょっとしたプレゼントをしてすべては終わったと思っているが、どっこい女性はそれほど愚かではない
いや、愚かなのは男の方であろう
女性は明治、大正、昭和戦前の女性ではない
ウーマンリブ、女性解放運動、男女均等法、さまざまな改革の中で力をつけて来たウーマンパワーの闘士なのだぞよ

私も最近は朝食家事をするようになってみて思うのは、調理前に片付けと簡単な掃除をする、それは義務ではなくて、目に入るゴミやら片づけ物があるから、食事つくり前に、それをかたさないと次に進めない
それから神棚の水を取り替えて、仏壇に花とご飯を供え、それから材料の下ごしらえ、煮炊きをして息子優先で支度をして
調理した器具を洗って、ようやく自分の食事が始まる
6時から準備を初めて、7時過ぎに食べさせて、自分がテーブルについて食べるのは8時少し前になる
それで思ったのは、女房殿は是を50年近くやって来たということだ

例えば車いす生活の人の不便さは、側から見て「気の毒に」などと思って同情しても、それはほんの一コマを見ての感想でしかない
車いすを押して半日、街を歩いてみればようやく車いす生活者の視線で見えてくる、どれだけ世の中がこうした人たちの不自由を改善しないでいるかが見えてくる
一方、そうした人の目線で先進的に改善している企業や人たちが居ることもわかる
それと同じように、主婦目線で見るには、一日主婦業をしてみるに限る

さて、彼へのアドバイスは、「どうにもならないと悟ったらあきらめるしかない、失ったものに未練を残してはいけない、後ろを振り返らず前に一歩踏み出せば、五里霧中の暗闇も晴れて、また新しい展開が起こるかもしれない
何もないと言うのは決して不幸なんかではない、むしろ何もない方が気楽である、特に齢をとってからは
毎日、感謝の心を持ち、祖先を大切にして、神仏を敬っていれば、道は開けるよ」
と、言おうかな・・・まだ言ってないけど。